大宅真樹

大宅 真樹
Masaki Oya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1995-04-23) 1995年4月23日(29歳)
出身地 日本の旗 長崎県佐世保市
ラテン文字 Masaki Oya
身長 178cm
体重 74kg
血液型 A型
選手情報
所属 サントリーサンバーズ
背番号 9
愛称 大宅、まさき
ポジション S
指高 230cm
利き手[1]
スパイク 328cm
ブロック 300cm[1]
獲得メダル
 日本
ネーションズリーグ
2023 グダンスク 男子バレーボール
アジア選手権
2021 男子バレーボール
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大宅 真樹(おおや まさき、1995年4月23日 - )は日本の男子バレーボール選手である。V.LEAGUE DIVISION1のサントリーサンバーズに所属している。

来歴

長崎県佐世保市出身。7歳の頃、姉の影響でバレーボールを始める[1]

小中学生時代はアタッカーとしてプレーしていたが、JOC選抜のときにセッターを経験し、そこからセッターに転向した[2]

2011年、長崎県立大村工業高等学校に進学。2012年、U-19日本代表に選出され、イランで開催されたアジアユース選手権(U-18)に出場[3]。2013年、メキシコで開催された世界ユース選手権(U-19)に出場[4]。高校の指導はきつくて辛かったが、その高校でなければ経験できなかった春高バレーが経験でき、高校での経験も後に活きているため、行って良かったと話している[2]

2014年、東亜大学に進学。高校時代の伊藤監督の勧めで決断した[2]。同年、U-21日本代表に選出され、バーレーンマナーマで開催されたアジアジュニア選手権(U-20)に出場[5]。2017年、U-23日本代表に選出され、イランアルダビールで開催されたアジアU-23選手権に出場し、チームを準優勝に導き、自身もベストセッター賞を受賞[6]エジプトカイロで開催された世界U-23選手権にも出場した[7]。大学当時は、卒業したら就職して9人制バレーを楽しむことなどを考えていた。しかし、転機が訪れ、大学にまで足を運んだ荻野正二(当時サントリーサンバーズ監督)から直接オファーを受け、それがバレーボールの道に進む決断につながった[2]

2017年10月、サントリーに内定し[8]2017/18V・プレミアリーグに内定選手として出場した。

2018年、サントリーに入団。入団1年目で日本代表登録メンバーに初選出される[9]。しかし、代表合宿には召集されず、国際大会に出場することはなかった[10]。2020年も登録メンバーに選出されたが、代表合宿に招集されずじまいだった[10]

2019年、入団2年目にしてサントリーとプロ契約を結ぶ[11]。プロ1年目の2019-20シーズン、セミファイナルで敗れ3位となったときには涙を流して悔しさを露わにした[12]

2020-21シーズン、サントリーの監督に就任したばかりの山村宏太に、人としても選手としても成長するのが必要だという理由でキャプテンに指名され、就任[13]。サントリーの14シーズンぶりのリーグ優勝に貢献し、自身もベスト6を受賞した[14]

2021年、ネーションズリーグに日本代表として出場[15]。これが自身にとってシニア代表としての国際大会初出場となった[10]東京オリンピックの最終メンバー入りはならず、オリンピックの試合を、セッター(関田誠大藤井直伸)のプレーを中心に観戦し、まだ2人には及ばないと思いながらも、自分なら何が出来るかと考えていたとのこと[10]。オリンピックの後に開催されたアジア選手権には、ポーランドでプレーすることとなった関田の代わりにメンバー入りし出場した[16]

2021-22シーズンもチームのリーグ連覇に貢献し、自身は最高殊勲選手賞にも輝いた[17][18]

2022年、藤井直伸の離脱もあり、日本代表の第2セッターとして白羽の矢が立つ。ネーションズリーグに出場[19]。そして、世界選手権のメンバーにも選出され、関田誠大の控えではあるが、試合にも出場を果たした[20]

2022-23シーズン、サントリーはV1男子ファイナルで敗れ準優勝で3連覇を逃すが、ベスト6を受賞となる活躍を見せチームに貢献した[21]。2023年5月に開催されたアジアクラブ選手権でサントリーの優勝に貢献し、ベストセッター賞を受賞した[22][23]

人物・エピソード

  • 同い年でサントリー同期の小野遥輝とはコンビプレーで息が合い、2019-20シーズンの頃、小野が生命線だと話した[24]。ファンからは小野とのコンビを「ニコイチ」と呼ばれている[25]
  • 2020年、新監督の山村宏太からキャプテンに指名されたとき、最初は意気込みを持ち喜んで引き受けたが、チームメイトに自身のキャプテン就任が賛同されないと思い不安になり、始動日のスタートアップミーティングを無断欠席してしまったという。選手や監督が電話をかけても電話に出れず、最終的には母に諭された。裏切ってしまったことを山村に謝ろうと思っていたが、山村からは「お前を信じるからみんながいいと言ったらキャプテンをやってくれ」と伝えられ、それにより覚悟ができ、チームメイトの賛同を得てキャプテン就任となったという[13]
  • 2022年の日本代表合宿前の取材で、自身の同期にもっと若い頃から日本代表に選ばれている選手がたくさんいると話し、彼らとまた一緒にやりたい気持ちがあると話した[10]
  • 小野とのコンビ「ニコイチ」へのこだわりが強かったため、日本代表でも注目を集めていた東レアローズの藤井直伸と李博のコンビ「ふじーりー」への憧れはとても強かった。藤井が亡くなった(2023年3月死去)後のインタビューでも、ふじーりーは本当に凄かったとコメントを残している[25]
  • 小野とは練習中や移動中も共にすることが多く、小野からは早めに社業につきたいと前から聞いていた。そのため、小野が2022-23シーズンで現役引退をすると決断したときも引き止めず、むしろここまでプレーを続けたことに感謝したという[25]

球歴

所属チーム

受賞歴

脚注

  1. ^ a b c 「サントリーサンバーズ」『2020-21 V.LEAGUE公式プログラム チームの顔 男子 2020年11月号』、日本文化出版、2020年11月、50頁、ASIN B08KH3RD97。 
  2. ^ a b c d “ザムストPresents“Vの肖像”vol.6 大宅真樹「大村工業の恩師伊藤先生からは、セッターとしてのあり方を教えられた」前編”. バレーボールマガジン. (2022年3月30日). https://vbm.link/626657/ 2022年4月19日閲覧。 
  3. ^ “第9回アジアユース男子バレーボール選手権大会 試合結果”. 日本バレーボール協会. 2021年4月8日閲覧。
  4. ^ “第13回世界ユースバレーボール選手権大会(U-19) 試合結果”. 日本バレーボール協会. 2021年4月8日閲覧。
  5. ^ “第17回アジアジュニア 男子選手権大会(U-20) 試合結果”. 日本バレーボール協会. 2021年4月8日閲覧。
  6. ^ “第2回アジアU-23男子選手権大会 試合結果”. 日本バレーボール協会. 2021年4月8日閲覧。
  7. ^ “第3回世界U-23男子選手権大会 試合結果”. 日本バレーボール協会. 2021年4月8日閲覧。
  8. ^ “2018年度 新入団選手のお知らせ”. サントリーサンバーズ (2017年10月6日). 2021年4月4日閲覧。
  9. ^ “2018年度男子日本代表チーム 選手・監督・スタッフ”. 日本バレーボール協会. 2021年4月4日閲覧。
  10. ^ a b c d e “ザムストPresents“Vの肖像”vol.6 大宅真樹(サントリー)「「直近の目標はもちろんリーグ連覇、そしてパリ五輪。人生かけてやっていきたい。今はそれしか見えない」後編”. バレーボールマガジン. (2022年4月6日). https://vbm.link/627258/ 2022年4月19日閲覧。 
  11. ^ “鶴田大樹選手・大宅真樹選手 プロ転向のお知らせ”. サントリーサンバーズ (2019年8月1日). 2022年4月19日閲覧。
  12. ^ “ザムストPresents“Vの肖像”Vol.4後編 サントリーサンバーズ鶴田大樹「連覇して引退したら中学生の頃からの夢である指導者になって経験を伝えたい」”. バレーボールマガジン. (2022年3月2日). https://vbm.link/624533/ 2022年4月15日閲覧。 
  13. ^ a b 米虫紀子「「もう絶対に逃げません。覚悟はできました」新キャプテンの“裏切り”を、山村監督はなぜ許した?【サントリー14年ぶりのVリーグ優勝】」『Sports Graphic Number』、文藝春秋、2021年4月8日、2頁、2021年4月9日閲覧 
  14. ^ “2020-21 V.LEAGUE DIVISION1 MEN V・ファイナルステージ ファイナル 試合結果のお知らせ”. Vリーグ機構 (2021年4月4日). 2021年4月4日閲覧。
  15. ^ “FIVBバレーボールネーションズリーグ2021”. 日本バレーボール協会. 2022年4月19日閲覧。
  16. ^ “第21回アジア男子選手権大会”. 日本バレーボール協会. 2022年4月19日閲覧。
  17. ^ “2021-22 V.LEAGUE DIVISION1 MEN優勝のお知らせ”. サントリーサンバーズ (2022年4月17日). 2022年4月18日閲覧。
  18. ^ “サントリーサンバーズが2年連続9度目の優勝 2021-22 V.LEAGUE DIVISION1 MEN V.FINAL STAGE結果・最終順位・個人賞”. Vリーグ機構 (2022年4月17日). 2022年4月18日閲覧。
  19. ^ “FIVBバレーボールネーションズリーグ2022”. 日本バレーボール協会. 2022年9月15日閲覧。
  20. ^ “2022男子世界選手権”. 日本バレーボール協会. 2022年9月15日閲覧。
  21. ^ “ウルフドッグス名古屋が7年ぶり2度目の優勝 -中央日土地 2022-23 V.LEAGUE DIVISION1 MEN V.FINAL STAGE FINAL 最終結果-”. V.LEAGUE (2023年4月23日). 2023年4月30日閲覧。
  22. ^ “SUNTORY SUNBIRDS SHINE BRIGHTEST TO CLAIM JAPAN’S HISTORIC ASIAN MEN’S CLUB TITLE IN BAHRAIN” [サントリーサンバーズがバーレーンで、日本にとって歴史的なアジア男子クラブのタイトル獲得で最大の輝きを放つ] (英語). アジアバレーボール連盟 (2023年5月22日). 2023年5月22日閲覧。
  23. ^ “サントリー 日本勢初のアジアクラブ男子選手権制覇”. 月バレ.com (日本文化出版). (2023年5月22日). https://www.getsuvolley.com/230522_asiaclub_men 2023年5月22日閲覧。 
  24. ^ 米虫紀子「「もう絶対に逃げません。覚悟はできました」新キャプテンの“裏切り”を、山村監督はなぜ許した?【サントリー14年ぶりのVリーグ優勝】」『Sports Graphic Number』、文藝春秋、2021年4月8日、1頁、2021年4月9日閲覧 
  25. ^ a b c 米虫紀子 (2023年4月27日). “27歳で引退…Vリーグファイナリストが異例の“社業専念”「遥輝に決めさせたい」相棒セッターが目指した“憧れのコンビ”とは?”. Sports Graphic Number (文藝春秋). https://number.bunshun.jp/articles/-/857385 2023年8月17日閲覧。 

外部リンク

日本の旗 バレーボール日本男子代表 - 2022 世界選手権
サントリーサンバーズ 2023-2024
スタッフ
S
OH/OP
MB
L
V.LEAGUE DIVISION1 MEN 最高殊勲選手賞/最優秀選手
日本リーグ
1960年代

67 池田尚弘 / 68-69 大古誠司 / 69-70 白神守

1970年代

70-71 森田淳悟 / 71-72 横田忠義 / 72-73 大古誠司 / 73-74 中村祐造 / 74-75 中村祐造 / 75-76 中村祐造 / 76-77 田中幹保 / 77-78 森田淳悟 / 78-79 田中幹保 / 79-80 田中幹保

1980年代

80-81 田中幹保 / 81-82 山田修司 / 82-83 田中幹保 / 83-84 山田修司 / 84-85 杉本公雄 / 85-86 三橋栄三郎 / 86-87 三橋栄三郎 / 87-88 三橋栄三郎 / 88-89 田中幹保 / 89-90 田中幹保

1990年代

90-91 中垣内祐一 / 91-92 楊成太 / 92-93 青山繁 / 93-94 大竹秀之

Vリーグ
1990年代
2000年代
V・プレミア
リーグ
2000年代
2010年代
V.LEAGUE
DIVISION1
2010年代
2020年代
V.LEAGUE DIVISION1 MEN ベスト6
Vリーグ
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第8回
第9回
第10回
第11回
第12回
プレミア
リーグ
2006/07
2007/08
2008/09
2009/10
2010/11
2011/12
2012/13
2013/14
2014/15
2015/16
2016/17
2017/18
V.LEAGUE
DIVISION1
2018/19
2019/20
2020/21
2021/22
2022/23
 
1990年代
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1996年
1997年
1998年
1999年
 
2000年代
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
 
2010年代
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2017年
2018年
2019年
★は黒鷲賞、☆は敢闘賞