リバン・ヘルナンデス

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はヘルナンデス第二姓(母方の姓)はカレーラです。
この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • リバン・エルナンデス
リバン・ヘルナンデス
Liván Hernández
基本情報
国籍ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国に亡命)
出身地 キューバの旗 ビーリャ・クララ州
生年月日 (1975-02-20) 1975年2月20日(49歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
245 lb =約111.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト外
初出場 1996年9月24日 ブレーブス戦 
年俸 $750,000(2012年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム キューバの旗 キューバ
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

エイスラー・リバン・ヘルナンデス・カレーラ(Eisler Liván Hernández Carrera, 1975年2月20日 - )はキューバ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。エル・デュケことオーランド・ヘルナンデスは異母兄。

経歴

父と兄の影響で野球を始め、その実力もかなり高い評価を受けていた。1992-93シーズンからキューバ国内リーグ "セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル" のイスラ・ラ・フベントゥに所属していた。1994年キューバ代表の一員になったが、1995年9月に遠征で訪れていたメキシコのホテルから姿を消し、そのままドミニカ共和国亡命。キューバ代表の将来のエース候補だったため激しい争奪戦となり、特にニューヨーク・ヤンキースフロリダ・マーリンズを50万ドル上回る500万ドルを提示した。マイアミが全米最大のキューバ系移民のコミュニティーを形成しているため最終的にマーリンズを選択し[2]1996年1月13日に4年総額450万ドルのメジャー契約を結ぶ。実際の年齢はもっと上ではないかと考える意見もある[3]

1996年はAAA級でプロデビューも食べ過ぎによる14キロのウエイトオーバーによる不調で10試合に登板し、2勝4敗・防御率5.14の成績でAA級に降格[2]。AA級では9勝2敗・防御率4.34を記録し、9月のメジャーロースター拡大によりメジャーに昇格し[2]9月24日のブレーブス戦でメジャーデビューを果たした。

1997年のスプリングトレーニングには体重を落として参加。レギュラーシーズンはAA級で1試合登板した後、AAA級に昇格し、6月にメジャー昇格。8月31日まで9連勝をマークし[4]、最終的に9勝3敗・防御率3.18で新人王の投票ではスコット・ローレンに次ぐマット・モリスとともに2位タイとなった[5]。チームはワイルドカードでプレーオフへ進出も、ヘルナンデスはシーズン終盤3連敗と不調なため先発ローテーションから外され、リリーフとして登板していたが、ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第2戦でアレックス・フェルナンデスが右肩を痛め戦線離脱し、代役として2勝2敗で迎えた第5戦に先発登板した[2]。主審が外角の判定に甘く、それに気付き徹底的にそのコースへ投げ、15奪三振を記録し、1失点で完投。ジョン・スモルツに投げ勝った。

チームは初のワールドシリーズへ進出し、初戦の先発を任された。5.2回を投げ3失点で勝ち投手の権利を得ての降板となり、チームは7対4で勝利した[6]。しかし、ヘルナンデスは途中降板した自分自身に腹が立ち、グラブを投げつけ、帽子を何度もたたきつけていた[2]。2勝2敗で迎えた第5戦は9回途中まで8四球ながらもシリーズ2勝目を挙げた。試合後キューバ政府から特別ビザが下り、2年ぶりに母との対面が実現した[2]。チームは第7戦でワールドチャンピオンとなり、ヘルナンデスはシリーズMVPを受賞した。

1999年7月25日にトレードでサンフランシスコ・ジャイアンツへ移籍し、2003年3月24日にはモントリオール・エクスポズへ移籍。

2003年から2005年まで、3年連続でリーグ最多イニングを投げている。

2005年は開幕から絶好調で、4月24日から7月1日シカゴ・カブス戦までの間、12勝3敗、防御率3.48を記録。特に5・6月は負けなしだった。しかし、後半戦に入ると、5月中旬に痛めた左ヒザの状態が7月20日のコロラド・ロッキーズ戦以降、さらに悪化[7]。シーズン中の手術も考えられたものの、閉幕まで投げ続けた。結局、後半戦は3勝7敗、防御率4.58と前半戦に比べると調子を落とした。それでも、シーズントータルでは自己2位タイとなる15勝、6年連続200投球回を達成。

2006年もエースとして開幕からプレーするも、昨年の10月の手術の影響で不調に陥ってしまった[8]8月7日に熾烈なプレーオフ争いを繰り広げ、先発投手を求めていたアリゾナ・ダイヤモンドバックスにトレード移籍。移籍後は復調し、10登板で防御率3.76、登板試合すべてで5イニング以上、7試合で7イニング以上投げるなど、4勝5敗と負け越したものの安定した投球を披露(ナショナルズでは、24先発・9勝8敗・防御率5.34・146.2投球回)。

2007年は、ヤンキースから出戻ったランディ・ジョンソンの長期離脱もあり、エースのブランドン・ウェブに続く先発2番手としてシーズンを通してプレー。10年連続199.2投球回以上となる204.1投球回を投げ、ローテーションを守り、プレーオフへ進むこととなる若手主体のチームで存在感を示した。しかし、その一方で8年連続10勝以上となる11勝こそ挙げたものの、負け数も同数の11敗、防御率4.93と精彩を欠いた。

2008年2月12日ミネソタ・ツインズと1年500万ドルで契約を結んだ[9]。10勝をあげたものの8敗、防御率5.48と不安定な投球だったため、8月1日フランシスコ・リリアーノと入れ替わる形で戦力外となった。8月6日コロラド・ロッキーズへ移籍した。

2009年2月14日ニューヨーク・メッツとマイナー契約。4月11日にメジャーへ復帰。しかし、8月20日ビリー・ワグナーの復帰に伴い解雇された[10]。その後8月26日、古巣のナショナルズに3年ぶりに復帰した[11]。同年、両チーム通算で9勝12敗と負け越し、連続2ケタ勝利が9年で途切れた。 2012年1月31日ヒューストン・アストロズとマイナー契約を結びスプリングキャンプに招待されるも、3月30日に放出される。その後直ぐにアトランタ・ブレーブスとリリーフ投手としてメジャー契約。6月22日ミルウォーキー・ブルワーズと契約するが、40人枠から外れた為に10月17日にFAになることを選ぶ[12][リンク切れ]

2014年3月12日に現役引退を発表した[13]

選手としての特徴

1990年代半ば頃は速球投手であったが、キャリア晩年は平均135km/h程度のフォーシームと同じぐらいのツーシーム、130km/h近くのスライダー、110km/h足らずのカーブを織り交ぜる緩急とフォームの変化で工夫する技巧派投手になっている。ゴロをあまり打たせる事が出来ないので、四球が多くなり、本塁打も打たれやすい。2011年はメジャーの先発投手の中で最も平均球速が遅かった[14]

シーズンを通して怪我なくローテーションを守るスタミナに定評があり、年間イニング数が200を超えたことが10回もある鉄腕である。ジャイアンツの投手コーチを務めるデーブ・リゲッティは「彼は止めなければ250球でも投げ続けるよ、きっと。本当に馬車馬のようだ」と評している[15]

太めの体格にもかかわらず、軽快な動きで守備には定評がある。

シルバースラッガー賞を獲得したことがあり、打撃もいい投手。ナショナルリーグでの経験が長く、通算の打席が多いこともあり、215安打、10本塁打、123犠打(投手として歴代8位)、打率.221などの好成績を残している。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1996 FLA 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 13 3.0 3 0 2 0 0 2 0 0 0 0 0.00 1.67
1997 17 17 0 0 0 9 3 0 -- .750 405 96.1 81 5 38 1 3 72 0 0 39 34 3.18 1.24
1998 33 33 9 0 0 10 12 0 -- .455 1040 234.1 265 37 104 8 6 162 4 3 133 123 4.72 1.57
1999 20 20 2 0 0 5 9 0 0 .357 612 136.0 161 17 55 3 2 97 2 1 78 72 4.76 1.59
SF 10 10 0 0 0 3 3 0 0 .500 274 63.2 66 6 21 2 0 47 0 1 32 31 4.38 1.37
'99計 30 30 2 0 0 8 12 0 0 .400 886 199.2 227 23 76 5 2 144 2 2 110 103 4.64 1.52
2000 33 33 5 2 1 17 11 0 0 .607 1030 240.0 254 22 73 3 4 165 3 0 114 100 3.75 1.36
2001 34 34 2 0 0 13 15 0 0 .464 1008 226.2 266 24 85 7 3 138 7 0 143 132 5.24 1.55
2002 33 33 5 3 0 12 16 0 0 .429 921 216.0 233 19 71 5 4 134 1 1 113 105 4.38 1.41
2003 MON
WSH
33 33 8 0 0 15 10 0 0 .600 967 233.1 225 27 57 3 10 178 6 1 92 83 3.20 1.21
2004 35 35 9 2 1 11 15 0 0 .423 1053 255.0 234 26 83 9 10 186 1 0 105 102 3.60 1.24
2005 35 35 2 0 0 15 10 0 0 .600 1065 246.1 268 25 84 14 13 147 3 2 116 109 3.98 1.43
2006 24 24 0 0 0 9 8 0 0 .529 661 146.2 176 22 52 4 2 89 0 0 94 87 5.34 1.55
ARI 10 10 0 0 0 4 5 0 0 .444 298 69.1 70 7 26 2 2 39 1 0 31 29 3.76 1.38
'06計 34 34 0 0 0 13 13 0 0 .500 959 216.0 246 29 78 6 4 128 1 0 125 116 4.83 1.50
2007 33 33 1 0 1 11 11 0 0 .500 913 204.1 247 34 79 1 6 90 3 2 116 112 4.93 1.60
2008 MIN 23 23 2 0 0 10 8 0 0 .556 627 139.2 199 18 29 3 1 54 2 1 93 85 5.48 1.63
COL 8 8 0 0 0 3 3 0 0 .500 184 40.1 58 7 14 1 1 13 1 0 36 36 8.03 1.79
'08計 31 31 2 0 0 13 11 0 0 .542 811 180.0 257 25 43 4 2 67 3 1 129 121 6.05 1.67
2009 NYM 23 23 1 0 0 7 8 0 0 .467 593 135.0 164 16 51 3 1 75 1 0 83 82 5.47 1.59
WSH 8 8 1 0 0 2 4 0 0 .333 213 48.2 56 3 16 2 0 27 0 0 29 29 5.36 1.48
'09計 31 31 2 0 0 9 12 0 0 .429 806 183.2 220 19 67 5 1 102 1 0 112 111 5.44 1.56
2010 33 33 2 1 0 10 12 0 0 .455 896 211.2 216 16 64 5 4 114 1 1 93 86 3.66 1.32
2011 29 29 1 1 0 8 13 0 0 .381 751 175.1 199 16 46 6 5 99 3 0 98 87 4.47 1.40
2012 ATL 18 0 0 0 0 1 1 1 0 .500 136 31.0 40 5 8 4 0 19 0 0 17 17 4.94 1.55
MIL 26 0 0 0 0 3 0 0 2 1.000 156 36.1 44 10 8 0 1 29 2 0 31 31 7.68 1.43
'12計 44 0 0 0 0 4 1 1 2 .800 292 67.1 84 15 16 4 1 48 2 0 48 48 6.42 1.49
MLB:17年 519 474 50 9 3 178 177 1 2 .501 13816 3189.0 3525 362 1066 86 78 1976 41 13 1686 1572 4.44 1.44
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更

表彰

背番号

  • 61(1996 - 2012年)

脚注

  1. ^ “Livan Hernandez Stats, News, Pictures, Bio, Videoss” (英語). ESPN.com. 2012年1月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 出村義和「リバン・ヘルナンデス [マーリンズ] 野球王国キューバから来た恐るべき「救世主」」『月刊メジャー・リーグ』1997年12月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-12、36 - 39頁。
  3. ^ “Very few quality starters will be available this winter - MLB - ESPN”. Sports.espn.go.com (2007年8月23日). 2010年7月22日閲覧。
  4. ^ “Livan Hernandez 1997 Pitching Gamelogs - Baseball-Reference PI” (英語). 2008年7月6日閲覧。
  5. ^ “Baseball Awards Voting for 1997 - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年7月6日閲覧。
  6. ^ “October 18, 1997 World Series Game 1 at Dolphin Stadium Box Score and Play by Play - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年7月6日閲覧。
  7. ^ Ladson, Bill (2005年7月21日). “Notes: No surgery for Hernandez” (英語). MLB.com. 2010年8月5日閲覧。
  8. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、436頁。ISBN 978-4-331-51213-5。 
  9. ^ “Twins land veteran hurler Hernandez” (英語). 2008年7月6日閲覧。
  10. ^ Associated Press (2009年8月21日). “Mets look to trade Wagner” (英語). ESPN.com. 2010年8月5日閲覧。
  11. ^ “Livan signs deal, returns to Nationals Right-hander pitched with franchise from 2003-06”. nationals.co (2009年8月26日). 2009年8月30日閲覧。
  12. ^ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121018-00000214-ism-base
  13. ^ Bill Ladson (2014年3月12日). “Livan to make retirement official”. MLB.com. 2014年3月13日閲覧。
  14. ^ “PitchFX Leaderboards”. Baseball Prospectus. 2012年9月18日閲覧。
  15. ^ 「各球団マンスリー・リポート サンフランシスコ・ジャイアンツ/試合平均120球強のタフネス右腕」『月刊メジャー・リーグ』2000年10月号、ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08625-10、57頁。

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
 
獲得タイトル・記録
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
  • 捕手
  • 一塁手
  • 二塁手
  • 三塁手
  • 遊撃手
  • 外野手
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
フロリダ・マーリンズ 1997年のワールドシリーズ ロースター
   

25 アル・ライター
26 アレックス・アリアス
27 ケビン・ブラウン
28 ジョン・キャンジェローシ
30 クレイグ・カウンセル
31 ロブ・ネン
39 ジェイ・パウエル
41 トニー・ソーンダース
42 デニス・クック
49 フェリックス・ヘレディア
52 エド・ボスバーグ
57 アントニオ・アルフォンセカ
61 リバン・ヘルナンデスシリーズMVP

監督
11 ジム・リーランド

コーチ
06 ジェリー・マニエル(ベンチ)
12 ブルース・キム(ブルペン)
29 ミルト・メイ(打撃)
37 トミー・サント(一塁)
45 リッチ・ドネリー(三塁)
47 ラリー・ロスチャイルド(投手)

 
開幕投手
マイアミ・マーリンズ開幕投手
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
サンフランシスコ・ジャイアンツ開幕投手
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
  • 10 レッド・エイムズ
  • 11 レッド・エイムズ
  • 12 ルーブ・マーカード
  • 13 ジェフ・テスロー
  • 14 ルーブ・マーカード
  • 15 ジェフ・テスロー
  • 16 ジェフ・テスロー
  • 17 フレッド・アンダーソン
  • 18 ジェフ・テスロー
  • 19 ジェシー・バーンズ
1920年代
  • 20 ジェシー・バーンズ
  • 21 フィル・ダグラス
  • 22 アート・ネフ
  • 23 ヒュー・マッキラン
  • 24 ロージー・ライアン
  • 25 アート・ネフ
  • 26 ヴァージル・バーンズ
  • 27 ヴァージル・バーンズ
  • 28 ラリー・ベントン
  • 29 カール・ハッベル
1930年代
1940年代
  • 40 カール・ハッベル
  • 41 ハル・シューマッカー
  • 42 カール・ハッベル
  • 43 ビル・ロアーマン
  • 44 ビル・ボイセル
  • 45 ビル・ボイセル
  • 46 ビル・ボイセル
  • 47 ビル・ボイセル
  • 48 ラリー・ジャンセン
  • 49 ラリー・ジャンセン
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ワシントン・ナショナルズ開幕投手
1960年代
  • 69 マッドキャット・グラント
1970年代
  • 70 ジョー・スパーマ
  • 71 カール・モートン
  • 72 ビル・ストーンマン
  • 73 マイク・トーレス
  • 74 スティーブ・レンコ
  • 75 デーブ・マクナリー
  • 76 スティーブ・ロジャース
  • 77 スティーブ・ロジャース
  • 78 スティーブ・ロジャース
  • 79 スティーブ・ロジャース
1980年代
  • 80 スティーブ・ロジャース
  • 81 スティーブ・ロジャース
  • 82 スティーブ・ロジャース
  • 83 スティーブ・ロジャース
  • 84 チャーリー・リー
  • 85 スティーブ・ロジャース
  • 86 ブリン・スミス
  • 87 フロイド・ユーマンズ
  • 88 デニス・マルティネス
  • 89 デニス・マルティネス
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
ミネソタ・ツインズ開幕投手
1900年代
  • 01 ビル・ギャリック
  • 02 アル・オース
  • 03 アル・オース
  • 04 ハイボール・ウィルソン
  • 05 ケイシー・パットン
  • 06 トム・ヒューズ
  • 07 トム・ヒューズ
  • 08 チャーリー・スミス
  • 09 チャーリー・スミス
1910年代
1920年代
1930年代
  • 30 ファーポ・マーベリー
  • 31 ロイド・ブラウン
  • 32 アルバン・クラウダー
  • 33 アルバン・クラウダー
  • 34 アール・ホワイトヒル
  • 35 アール・ホワイトヒル
  • 36 ボボ・ニューサム
  • 37 ジョー・カスカレラ
  • 38 ウェス・フェレル
  • 39 ジミー・デション
1940年代
  • 40 ダッチ・レナード
  • 41 ダッチ・レナード
  • 42 シド・ハドソン
  • 43 ダッチ・レナード
  • 44 ジョニー・ナイジェリング
  • 45 ダッチ・レナード
  • 46 ロジャー・ウルフ
  • 47 アーリー・ウィン
  • 48 アーリー・ウィン
  • 49 レイ・スカボロー
1950年代
  • 50 レイ・スカボロー
  • 51 コンラッド・マレーロ
  • 52 ボブ・ポーターフィールド
  • 53 ボブ・ポーターフィールド
  • 54 チャック・ストッブス
  • 55 ボブ・ポーターフィールド
  • 56 カミロ・パスカル
  • 57 ボブ・チャカレス
  • 58 ペドロ・ラモス
  • 59 ペドロ・ラモス
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
  • 表示
  • 編集
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • アメリカ