上杉隆憲

上杉 隆憲(うえすぎ たかのり、大正6年(1917年2月5日 - 平成7年(1995年10月30日)は、米沢上杉家15代当主。

来歴・人物

上杉憲章の三男として山形県米沢市に生まれる。長兄・定憲と次兄・資憲が早世したため、父の跡を継ぎ米沢上杉家の当主となる。学習院で初等科から高等科まで学び、東京帝国大学仏文科に進学した。昭和15年(1940年)、徳川家正の次女敏子と結婚した。昭和16年(1941年)、文部省に入省。昭和19年(1944年)、米沢に疎開し、山形師範学校助教授となった。戦後、東京に戻り、東京文化会館長、東京都児童会館長などを務めた。米沢市制100年の時には国宝・重要文化財を寄贈した。1995年10月30日、心筋梗塞のため死去[1]

敏子夫人は徳川宗家第17代当主・徳川家正の次女。2男2女があり、長男は宇宙工学者の上杉邦憲、次男は音楽家の上杉隆治(2004年5月12日没)である。

脚注

  1. ^ 『現代物故者事典 1994~1996』(日外アソシエーツ、1997年)p.83
上杉笹紋米沢上杉家第16代当主(1953年 - 1995年)
山内上杉家

重房 - 頼重 - 憲房 - 憲顕 - 憲方 - 憲定 - 憲基 - 憲実 - 清方) - 憲忠 - 房顕 - 顕定 - 顕実 - 憲房 - 憲寛 - 憲政 - 輝虎(謙信) - 景虎 -

米沢上杉家

景勝 - 定勝 - 綱勝 - 綱憲 - 吉憲 - 宗憲 - 宗房 - 重定 - 治憲 - 治広 - 斉定 - 斉憲 - 茂憲 - 憲章 - 隆憲 - 邦憲 -

分家・支流

深谷上杉家

憲英 - 憲光 - 憲信 - 房憲 - 憲清 - 憲賢 - 憲盛 - 氏憲 - 憲俊 - 憲国 - 憲景 -

新田(麻布)上杉家

勝周 - 勝承 - 勝定 - 勝義 - 勝道 - 勝賢 - 勝憲 - 勝昭 - 孝久 -

御館の乱で景勝と争い、乱後の1580年には景勝に統一
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