FRONT

曖昧さ回避 この項目では、写真雑誌のFRONTについて説明しています。他の用法については「フロント」をご覧ください。
1-2合併号(海軍号)表紙。戦艦「伊勢」の水兵
3-4合併号(陸軍号)表紙。九七式重爆撃機将校尉官)空中勤務者

FRONT』(フロント)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)から1945年(昭和20年)にかけて、10冊が出版(刊行9冊)された大日本帝国の対外宣伝(プロパガンダ)グラフ雑誌グラフ誌)。発行・出版元は東方社。雑誌名『FRONT』は戦線の意。

概略

1939年(昭和14年)、ソビエト連邦の対外宣伝誌『CCCP НА СТРОЙКЕ』(『ソ連邦建設』・『建設のソ連邦』の意、1930年創刊)に刺激された帝国陸軍の参謀本部第2部第5課(ソ連方面を担当)から岡田桑三に対し、『ソ連邦建設』を参考とした日本の対外宣伝グラフ誌刊行計画が打診された。研究を経て1941年(昭和16年)、岡田桑三を理事長とし、参謀本部第2部第8課(謀略を担当)および内閣情報部の強力な後ろ盾によって東方社が設立され翌年に『FRONT』が出版された。

『FRONT』は友好国・占領地域・中立国・敵対国といった日本国外の地域や民族に対して、日本の国威・軍事力・思想等を誇示する狙いから号によるが最大15か国語で翻訳され、陸海軍と政府の全面協力および、その豊富な資金力により極めて上質な体裁で刊行された。レイアウト、紙質、印刷などグラフ誌としてのクオリティも極めて高く、また、プロパガンダ目的のため一部の掲載写真作品にはフォトモンタージュなどの合成写真技法によって兵器の数を実際よりも増やしたり、機密理由のためエアブラシでの修正なども行われていた。

スタッフ

刊行一覧

No. 通 称 判 型 ページ数 外国語版 制作年
1 - 2 海軍号 A3判 68 15か国語[1](ほかに国内版) 1942
3 - 4 陸軍号 A3判 68 15か国語 1942
5 - 6 満州国建設号 A3判 68 中・英・露・タイ・仏・日、ほか不明 1943
7 落下傘部隊号 A3判 40 中・英・露・日 1943
8 - 9 空軍(航空戦力)号 A3判 68 中・英・露 1943
10 - 11 鉄(生産力)号 A3判 68 2か国語併記(中・英) 1944
12 - 13 華北建設号 A3判 68 2か国語併記(中・日) 1944
14 フィリピン号 A3判 52 2か国語併記(英・中) 1944
特別号 インド号 B4判 52 英語(一部中国語) 1944
特別号 戦時東京号[2] B4判 52 中国語(写真説明日本語カタカナ) 1945
特別号 戦争美術号[3] B4判

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脚注

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  1. ^ 創刊時の外国語版の内訳は:中国語、英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語、オランダ語、ポルトガル語、タイ語、ベトナム語、インドネシア語(オランダ式表記と英国式表記の2種)、モンゴル語、ビルマ語、インド・パーリ語。
  2. ^ 印刷されたが、刊行前に空襲で焼けてしまったために、刊行されず。
  3. ^ 敗戦のため刊行には至らなかった。
  4. ^ 多川精一『戦争のグラフィズム 『FRONT』を創った人々』 p332

参考文献

  • 多川精一 監修『FRONT復刻版』全3期(平凡社、1989~1990年/復刻新版、2024年)
  • 多川精一『戦争のグラフィズム 回想の「FRONT」』(平凡社、1988年) ISBN 4-582-73806-0
    • 多川精一『戦争のグラフィズム 『FRONT』を創った人々』(平凡社ライブラリー、2000年) ISBN 4-582-76349-9。改訂新版
  • 多川精一『焼跡のグラフィズム 『FRONT』から『週刊サンニュース』へ』(平凡社新書、2005年) ISBN 4-582-85268-8
  • 新藤健一『新版 写真のワナ ビジュアル・イメージの読み方』(情報センター出版局、1994年) ISBN 4-7958-1602-6
  • “東亜の盟主”のグラフィックス-アジア・太平洋戦争期の対外向けグラフ雑誌を比較して (PDF) -(井上祐子、立命館大学人文科学研究所紀要86号)

関連項目

ウィキメディア・コモンズには、FRONTに関連するメディアがあります。
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