鮫島有美子

鮫島 有美子
基本情報
生誕 (1952-01-08) 1952年1月8日(72歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都
学歴 東京芸術大学大学院修士課程修了
ジャンル オペラ
職業 声楽家
担当楽器
活動期間 1975年 -
レーベル 日本コロムビア
ウィキポータル クラシック音楽
ポータル クラシック音楽

鮫島 有美子(さめじま ゆみこ、1952年1月8日 - )は、日本声楽家ソプラノ歌手オーストリアウィーン在住。

経歴

東京都出身[1]千葉県市川市で育つ。1974年東京芸術大学声楽科、同大学院修士課程修了。1975年二期会オペラ『オテロ』でデビュー[2]。 その後ベルリン国立芸術大学留学[2]ウルム歌劇場専属歌手に採用される[2]

1990年12月31日、第41回NHK紅白歌合戦に紅組メンバーのひとりとして登場した[3]。それ以前、1987年の第38回NHK紅白歌合戦でも有力候補とされたが、年末までドイツに滞在していたため不選出となった[4]

2009年11月12日、国立劇場で挙行された「天皇陛下御在位20年記念式典」にて祝いの歌(日本歌曲、フォークなど数曲)を歌った[5]

2019年2月24日、国立劇場で挙行された「天皇陛下御在位三十年記念式典」の記念演奏に於いて、当時の皇后上皇后美智子)作曲の子守歌「おもひ子」を吉野直子ハープ)の伴奏で独唱した[6][7]

ディスコグラフィー

コンピレーション・アルバム

  • さとうきび畑 日本コロムビア (2002.8.21)

CD付書籍

  • 『天皇陛下御作詞 皇后陛下御作曲 歌声の響』(監修:宮内庁朝日新聞出版、2015年11月6日)ISBN 9784022512925

評価

  • 西部邁(評論家)は次のように評価している。「頂戴したCDに鮫島有美子さんの『波浮の港』(野口雨情作詞)が入っていて、その三番目、『島で暮らすにゃ、乏しゅうてならぬ、伊豆の伊東とは郵便だより、下田港(みなと)とはヤレホンニサ風だより』をよくうたった。『乏しい』のは、貧しさそのものではなく、『便りがない』ことだというのが秀逸であるし、イ『ト(ウ)ト』ハあるいはミナ『トト』ハというふうにトが続くところに、大島と本島とのあいだの隔たりがうまく表現されていて絶妙と感じた。鮫島さんの美しいのみならず深いソプラノを聞いて、ダミ声で演歌をうたっていた自分が少し恥ずかしくなりもした。」[8]

TV出演

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1990年(平成2年)/第41回 ぼだい樹 20/29 ポール・サイモン
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

著訳書

著書

訳書

  • 伴奏の芸術 ヘルムート・ドイチュ著 ムジカノーヴァ 1998年

脚注

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.510
  2. ^ a b c “鮫島 有美子”. 日本コロムビア. 2014年11月29日閲覧。
  3. ^ “NHK紅白歌合戦ヒストリー - 第41回”. NHK. 2014年11月29日閲覧。
  4. ^ 『読売新聞』1988年12月8日付東京夕刊、9頁。
  5. ^ “天皇陛下御在位20年慶祝行事等”. 首相官邸. 2014年11月29日閲覧。
  6. ^ “天皇陛下御在位三十年記念式典”. 首相官邸. 2020年12月26日閲覧。
  7. ^ 「おもひ子」は上皇后美智子皇太子妃時代に、福岡県出身の詩人、宮崎湖処子の詩に曲を付け、幼少の浩宮の枕辺で口ずさんだ子守歌。
  8. ^ 西部邁「最も滑稽なのは最もやり甲斐のあること 病妻への鍼灸八年間」『中央公論』2013年10月号、151頁。 

関連項目

外部リンク

  • 鮫島 有美子 - 日本コロムビア
  • 鮫島 有美子 - コトバンク
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
国立図書館
  • ドイツ
  • 日本
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
芸術家
  • MusicBrainz
  • 表示
  • 編集
スタブアイコン

この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。

  • 表示
  • 編集