裸の十九才

裸の十九才
監督 新藤兼人
脚本 新藤兼人
松田昭三
関功
製作 絲屋寿雄
能登節雄
桑原一雄
ナレーター 宇野重吉
出演者 [1]
音楽 林光
小山恭弘
撮影 黒田清巳
高尾清照
編集 榎寿男
製作会社 近代映画協会
配給 東宝[1]
公開 1970年10月31日
上映時間 117分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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裸の十九才』(はだかのじゅうきゅうさい)は、1970年に公開された日本映画[1]。監督は新藤兼人近代映画協会創立20周年記念作品[2]1968年に発生した永山則夫連続射殺事件を題材に取っており[2]、当時新人だった原田大二郎が主演している[2]。1971年、第7回モスクワ国際映画祭金賞(グランプリ)受賞[3]。白黒映画[1]

スタッフ

  • 監督:新藤兼人
  • 脚本:関功、松田昭三
  • 製作:絲屋寿雄、能登節雄
  • 撮影:黒田清己
  • 照明:岡本健一
  • 音楽:林光
  • 録音:大橋鉄矢[1]

キャスト

製作

キャスティング

新藤兼人監督は永山則夫を演じてもらう新人俳優に400人以上会ったが[2]、自らのイメージする〈永山則夫〉を見つけることが出来ず[2]。『エロス+虐殺』の予告編を観た本作の助監督が、原田大二郎を推薦[2]。面接を受けた原田は新藤に「世の中にこんなに人を鋭く見れる人がいるのか」とビックリ[2]。顔はニコニコだがギューッと刺してくる目線で、「この目線に負けちゃいけない」と感じた原田は新藤を睨み返し、緊張の攻防が続いた後、台本を渡された[2]。台本を読んで号泣するほど感激したが、「この役は僕には無理だな、面接までだろう」と思っていたら、翌日、新藤から「お願いしたい」と返事を貰った[2]。撮影中は「もうこれで死んでもいい」という気持ちで演じたという[2]。大役を演じ切ったことは幸福だったが、反動が大きく[2]、以降は現代的で都会の二枚目の好青年的なオファーが続き[2]、長い間、役柄を自分の中で作っていく事を怠るようになり、役者として眠っていた状態が長く続いたという[2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 裸の十九才 - 国立映画アーカイブ
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 野村正昭「ニッポン個性派時代:第88回 原田大二郎インタビュー」『キネマ旬報』1981年5月下旬号、キネマ旬報社、128–129頁。 
  3. ^ 4月22日は日本のインディペンデント映画の礎をつくった新藤兼人監督の誕生日!『裸の島』『裸の十九才』『生きたい』『三文役者』--、「モスクワ国際映画祭」とは?、1971 :: Moscow International Film Festival - ウェイバックマシン(2013年5月24日アーカイブ分)

外部リンク

新藤兼人監督作品
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
  • 北斎漫画 (1981年)
  • 地平線 (1984年)
  • ブラックボード (1986年)
  • 落葉樹 (1986年)
  • さくら隊散る (1988年)
1990年代
2000年代
2010年代