蟹江邦彦

蟹江 邦彦(かにえ くにひこ、1906年明治39年)4月26日[1] - 1985年昭和60年)3月6日[1][2])は、昭和期の労働運動家実業家政治家参議院議員

経歴

愛知県出身[1]。1923年(大正12年)京都市稲荷自動車学校を卒業[2]京都市で、貨物、旅客、自動車修理事業などを経営した[2]

全京都自動車消費組合常務理事、京都高級タクシー重役、興亜自動車工業重役、三光自動車工業重役などを務めた[2]。また、全京都金属労働組合連合会委員長、京都府労働委員、同府公職適否審査委員なども務めた[2]

1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙京都府地方区日本社会党公認で出馬して当選し[3]、参議院議員に1期在任した[1][2]。この間、参議院人事委員長などを務めた[2]。その後、第3回通常選挙に立候補したが落選した[4]

その他、葵タクシー代表となった[1]

1976年(昭和51年)春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章[5][6]

1985年(昭和60年)3月6日死去、78歳。死没日をもって正五位に叙される[7]

脚注

  1. ^ a b c d e 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』170頁。
  2. ^ a b c d e f g 「カニエ邦彦」『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』277頁。
  3. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』480頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』481頁。
  5. ^ 蟹江 邦彦. コトバンクより2022年12月24日閲覧
  6. ^ 『官報』第14795号6頁 昭和51年5月4日号
  7. ^ 『官報』第17426号11-12頁 昭和60年3月13日号

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
吉田法晴
日本の旗 参議院人事委員長 次代
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日本の旗 参議院人事委員長
第1回
(定数4)
3年議員
偶数回
定数2
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
第22回
第24回
第26回
奇数回
定数2
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
第21回
第23回
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。