荘公光

荘公 姜光
第25代公
王朝
在位期間 前553年 - 前548年
姓・諱 姜光
生年 不詳
霊公
鬷声姫

荘公光(そうこうこう)は、春秋時代の斉の第25代君主。後荘公とも。

略歴

武を好み、気性が荒かったため、父の霊公に廃嫡されるが、霊公の死後、宰相である崔杼に擁立されて太子牙を幽閉して斉公となる。一説には病床の霊公を殺して斉公として立ったとも言われる。その後、再び確執があり、太傅の高厚(中国語版)を殺害した。

彼の時代には斉は隆盛し、政治的には安定していたが、荘公自身は贅沢を好み、諫言を嫌った。晋の欒盈(中国語版)が反乱を起こして敗れ、斉へ亡命してきたときは、これを歓迎して復讐に手を貸そうとして晏嬰に諫言された。それゆえ荘公は晏嬰を退けた。前548年、美女として評判の高かった崔杼の妻と密通したため崔杼に恨まれ、その館を訪ねたとき、私兵に襲われて殺された。

蟷螂の斧

ある日、荘公は馬車で狩りに出かけた。道に一匹の虫がいて、前足をふりあげ、馬車の車輪に向かってきた。荘公は「これは、何という虫か」と御者に尋ねた。御者は「これは、蟷螂(とうろう。カマキリ)という者ですが、自分の力のほどを考えず、進むことのみ知って、退くことを知りませぬ」。荘公はそれを聞いて「これがもし人間なら、天下の武勇の者であるだろう」と言い、わざわざ車の向きを変えさせ、道のカマキリをよけて通った。国君である彼が、その勇気に敬意を払って一匹の虫に道を譲ったこの話が世に伝わると、命を投げ出して仕える主君を知ったとばかり、天下の勇者が続々と荘公のもとに集まってきた。荘公が崔杼に殺されたとき、事態を聞いた子飼いの勇士たちが崔杼の館にかけつけ、決死の突撃で数多く死んだ(『韓詩外伝』)。

姜斉の第25代(前555年 - 前548年)
  • 呂尚(太公望)前1021?-前1000
  • 丁公前999-?
  • 乙公
  • 癸公
  • 哀公?-前863
  • 胡公前862-前860
  • 献公前859-前851
  • 武公前850-前825
  • 厲公前824-前816
  • 文公前815-前804
  • 成公前803-前795
  • 荘公贖前794-前731
  • 釐公前730-前698
  • 襄公前697-前686
  • 公孫無知前685
  • 桓公前685-前643
  • 斉侯無詭前643
  • 孝公前642-前633
  • 昭公前632-前613
  • 斉君舎前613
  • 懿公前612-前609
  • 恵公前608-前599
  • 頃公前599-前582
  • 霊公前581-前554
  • 荘公光前553-前548
  • 景公前547-前490
  • 晏孺子荼前489
  • 悼公前488-前485
  • 簡公前484-前481
  • 平公前480-前456
  • 宣公前455-前405
  • 康公前404-前379
カテゴリ Category:斉の君主