竹村晋吉

竹村 晋吉(たけむら しんきち、1931年(昭和6年)12月21日 - 1999年(平成11年)12月9日)は、日本のスピードスケート選手である。長野県茅野市出身、長野県岡谷南高等学校日本大学を卒業。ヤシカに所属していた。

日本大学在学時の1956年(昭和31年)の冬季オリンピックコルティナダンペッツォオリンピックに出場、500m11位、1500m36位だった。 4年後の1960年(昭和35年)スコーバレーオリンピックでは500m43位に終わった。

池袋スケートセンターの開場式でスケーティングを披露[1]

1999年脳こうそくのため死去[2]

関連項目

脚注

  1. ^ 昭和毎日「昭和35年1月15日 「世界一広い」スケート場がオープン」記事
  2. ^ 日刊スポーツ「安らかなご永眠をお祈りいたします」

外部リンク

  • 竹村晋吉 - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
  • 冬季オリンピックメモリーズ
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