立憲民主連合

立憲民主連合(りっけんみんしゅれんごう、アラビア語التجمع الدستوري الديمقراطي Al-Tajammu` al-Dustūrī al-Dīmuqrāṭīフランス語Rassemblement constitutionnel démocratique)は、チュニジア政党ベン=アリーガンヌーシメバザ政権において与党の立場にある。 本項目では、その前身である新憲政党、社会主義憲政党も説明する。

歴史

  • 1934年 憲政党(Destour)より分立。新憲政党(Neo Destour)を創設。
  • 1956年 チュニジア、立憲王国チュニジア王国)としてフランスから独立。新憲政党を中心とする民族戦線が圧勝し、ブルギーバが首相に選任。
  • 1957年 ブルギーバ、王政を廃し、共和制への移行を宣言。自ら大統領に就任。
  • 1964年 名称を「新憲政党」から「社会主義憲政党(Parti socialiste destourien)」に変更。
  • 1987年 ブルギーバが退任し、ベン=アリーが大統領に就任。
  • 1988年 名称を「社会主義憲政党」より現名称に変更。
  • 2011年1月 ジャスミン革命によりベン=アリー政権が崩壊。後継の暫定政権でも主体となったが、国民からの批判をかわすため1月18日に中央委員会を解散、入閣した党員は全員が離党。党としては存続する[1]
  • 2011年2月 暫定政権が活動の全面停止を言い渡した[2]
  • 2011年3月 裁判所から解党を命じられた[3]

脚注

  1. ^ “チュニジア暫定政権が初閣議 政治グループを承認”. CNN.co.jp (CNN). (2011年1月21日). http://www.cnn.co.jp/world/30001565.html 2011年1月21日閲覧。 
  2. ^ チュニジア旧与党が活動停止に、デモで1人死亡
  3. ^ チュニジア旧与党を解党

外部リンク

  • 立憲民主連合(フランス語・アラビア語)
与党
野党

社会民主運動 - 人民統一党 - ユニオニスト民主連合 - 刷新改革運動(民主イニシアティヴ運動) - 社会自由党 - 民主愛国主義運動 - 進歩民主党 - 自由民主党 - チュニジア緑の党 - マグレビ共和党 - 祖国党 - 解放党 - バアス党 - チュニジア労働者党

結社禁止

復興党

過去に存在した政党

立憲民主連合

Portal:政治学 - Category:各国の政党 - チュニジアの政治
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