柴田隆一

柴田 隆一
国籍 日本の旗 日本
泳法 バタフライ
生年月日 (1983-12-14) 1983年12月14日(40歳)
生誕地 熊本県
身長 173cm
体重 72kg
獲得メダル
アジア競技大会
2006 ドーハ 男子200mバタフライ
パンパシフィック水泳選手権
2006 ビクトリア 男子200mバタフライ
ユニバーシアード
2005 イズミル 男子400mメドレーリレー
テンプレートを表示

柴田 隆一(しばた りゅういち 1983年12月14日 - )は、日本競泳選手。

経歴

両親は自衛官[1]、熊本県にある母親の実家で生まれた。生まれてすぐに沖縄県豊見城市に引越し、3、4歳でぜんそくを治すために水泳を始め、小学校5年の頃にバタフライを専門にするようになった[2]、小学校6年から福岡県大野城市に移り、大野城市立平野中学校に通った。3学年年下の春口沙緒里の省エネ泳法を習得し、中学校3年の時、ジュニアオリンピックで初優勝を果たした[3]

中学卒業後、東京都日本大学豊山高等学校に進学、高校総体の100mバタフライ、200mバタフライでも優勝している[1]

日本大学在学中の2005年にインカレで優勝している[2]。またこの年の世界水泳選手権の200mバタフライでは予選で全体トップの1分56秒60を出し[4]、準決勝では1分57秒36の8位で決勝に進出した[5]、決勝では5位タイとなった。

2006年パンパシフィック水泳選手権マイケル・フェルプスに次ぐ2位となった[6]

2007年3月の世界水泳選手権のバタフライでは5位となった。同年8月のインターナショナル・スイム・ミート2007の200mバタフライでは2位となった。

2008年4月の日本選手権水泳競技大会の200mバタフライで山本貴司松田丈志を破り日本代表に選ばれた[2]。オリンピックでは準決勝で敗退[7]、13位となった。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “競泳・柴田隆一(チームアリーナ)<上>周到準備で重圧克服”. 西日本新聞 (2008年7月2日). 2012年7月28日閲覧。
  2. ^ a b c 渡辺正和 (2008年6月23日). “北京の星”. スポーツナビ. 2012年7月28日閲覧。
  3. ^ “競泳・柴田隆一(下)(チームアリーナ)天才少女を追い掛け”. 西日本新聞 (2008年7月2日). 2012年7月28日閲覧。
  4. ^ “柴田隆が1位で予選突破 北島も準決勝へ世界水泳 第10日午前”. スポーツナビ (2005年7月27日). 2012年7月28日閲覧。
  5. ^ “中村礼、森田共に4位 北島は日本新で決勝へ(大会10日目 午後 7/26)”. 日本水泳連盟 (2005年7月26日). 2012年7月28日閲覧。
  6. ^ “第48回日本短水路選手権水泳競技大会”. 日本水泳連盟 (2007年). 2012年7月28日閲覧。
  7. ^ “2008年8月12日 水泳・競泳 結果・記録”. 日本オリンピック委員会 (2008年8月12日). 2012年7月28日閲覧。

関連項目

外部リンク

日本の旗日本選手権水泳競技大会 男子100mバタフライ優勝者
1950年代
1960年代
  • 60 開田幸一
  • 61 ルイス・ニコラオ(英語版)
  • 62 フレッド・シュミット(英語版)
  • 63 大林敦
  • 64 大林敦
  • 65 中島功
  • 66 中島功
  • 67 野修
  • 68 丸谷里志
  • 69 丸谷里志
1970年代
1980年代
  • 80 ジョージ・ナギー(英語版)
  • 81 川和秀動
  • 82 泉憲二
  • 83 泉憲二
  • 84 川和秀動
  • 85 三浦広司
  • 86 佐藤浩志
  • 87 田中穂徳
  • 88 田中穂徳
  • 89 杉本邦男
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
日本の旗日本選手権水泳競技大会 男子200mバタフライ優勝者
1950年代
1960年代
1970年代
  • 70 駒崎康弘
  • 71 駒崎康弘
  • 72 駒崎康弘
  • 73 駒崎康弘
  • 74 駒崎康弘
  • 75 スティーブ・グレッグ(英語版)
  • 76 ジョージ・ナギー(英語版)
  • 77 香山進介
  • 78 平田和久
  • 79 設楽義信
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
男子
女子
男子
女子
男子
女子
男子
女子
  • 表示
  • 編集