明治大学ピラニアギャングス

明治大学バスケットボール部ピラニアギャングス
Meji Univ. Piranhagangs
愛称 ピラニアギャングス
所属リーグ 日本の旗 関東大学バスケットボール連盟
創設年 1925年
チーム史
本拠地 東京都千代田区
チームカラー   紫紺
大学 明治大学
代表者 菊地端夫(部長)
優勝歴 全日本大学バスケットボール選手権大会
優勝9回(1960年、1963年、1964年、1970年、1971年、1972年、1974年、1975年、1976年)
全日本総合バスケットボール選手権大会
優勝1回(1975年)
公式サイト https://meiji-basketball.com/
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明治大学バスケットボール部ピラニアギャングス(めいじだいがくバスケットボールぶピラニアギャングス、: Meiji University Basketball Club Piranhagangs)は明治大学体育会に所属する男子バスケットボールチームである。1925年創部。関東大学バスケットボール連盟所属。チームカラーは「紫紺」。

歴史

1925年、明大在学中の妹尾堅吉(後の大日本バスケットボール協会(現・日本バスケットボール協会)発起人のひとり[1])が、YMCAで行われていたバスケットボール競技に関心をもち、大学の許可を得て「学友会篭球部」として発足。

1932年、バスケットボール創始者のジェームズ・ネイスミス博士を訪問

1932年、初の米国遠征を実施。バスケットボール競技の考案者であるジェームズ・ネイスミス博士などを訪問。

1937年全日本選手権(オールジャパン)に初出場。

1960年全日本学生選手権(インカレ)初優勝。以降数多くの栄冠を手にする。インカレ優勝回数は日本体育大学日本大学に次いで第3位となる9回を誇る。

1968年韓国高麗大学との間で、両大学が相互に訪問する方式での定期戦を開始。(2023年現在に至るまで、50回以上に亘り開催)

1972年、山本良一(現・J.フロント リテイリング社長)主将時に、全日本大学バスケットボール選手権大会で3連覇を達成。

1975年全日本総合バスケットボール選手権大会で優勝。現在のところ学生チーム最後の同大会優勝となっている。

1980年代に入り黄金時代が終焉。その後2部と1部を往復、3部も経験するなど低迷が続き、2000年以降は2部に定着していたが2009年2部で優勝、1部に昇格を果たし2010年度、2012年度インカレ3位の好成績をおさめた。

国際交流

第91回天皇杯・第82回皇后杯 全日本総合バスケットボール選手権大会名古屋ダイヤモンドドルフィンズ戦)

1932年、初の米国遠征を実施。バスケットボールの考案者であるジェームズ・ネイスミス博士を訪問し直接指導を受けたことなどが記録に残されている。

韓国高麗大学米国ハワイ大学など海外遠征の機会は多く、特に高麗大学との相互訪問方式による定期交流戦は50回以上に亘り開催されている歴史ある国際定期交流戦となっており、学生スポーツ界におけるグローバル化の先駆者として活動が継続されている。

主な成績

主な卒業生

河内敏光日本プロバスケットボールリーグコミッショナー)
梅嵜周毅シャンソンVマジック監督)

脚注

  1. ^ 東京体育学会 第 4 回学会大会 大日本バスケットボール協会の設立に関する史的考察
  2. ^ 一般財団法人全日本大学バスケットボール連盟 全日本学生バスケットボール選手権大会優勝

外部リンク

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  • 明治大学体育会バスケットボール部(スポーツ編)
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