山田六一

山田 六一(やまだ ろくいち、1917年1月7日 - 2013年1月16日)は、日本実業家。三協精機製作所(現・ニデックインスツルメンツ)創業者であり、代表取締役社長を務めた。

略歴

長野県諏訪郡長地村(現・岡谷市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、山梨高等工業学校(現・山梨大学)機械工学科卒業。北澤工業(現・東洋バルヴ)入社。1946年に兄の山田正彦と戦時中に第二精工舎諏訪工場(現・セイコーエプソン)から北澤工業に出向した小川憲二郎の3人で、三協精機製作所(現・ニデックインスツルメンツ)を創業[1]。同社代表取締役社長、会長、名誉会長を歴任し、のちに長野県スケート連盟の副会長を務めた。2013年、老衰のため死去した。96歳没。

参考文献

  • 『山田六一随想集 - 三協精機創業以来の思い出』 ビジネスコミュニケーション研究所 2003年

脚注

  1. ^ 。 山田六一氏が死去 三協精機製作所(現日本電産サンキョー)創業者2013/1/18付日本経済新聞
  • 表示
  • 編集