小林重威
小林 重威(こばやし しげたけ、万延元年9月23日[1][2](1860年11月5日) – 1917年(大正6年)2月6日[3])は、日本の内務官僚。山口県下関市長。
経歴
信濃国佐久郡小諸(現在の長野県小諸市)出身[1]。1890年(明治23年)、内務属となり、県治局市町村課長、大分県参事官、福岡県参事官・内務部第一課長、同事務官・第三部長、京都府事務官・第三部長、徳島県事務官・第二部長を歴任した[1]。1908年(明治41年)、韓国政府の応聘により全羅南道書記官に就任[2]。
韓国併合後は下関市長に転じた[1][2]。退任後、大阪市助役・港湾部長を務めた[2]。
脚注
- ^ a b c d 大正名家録 1915, p. コ5.
- ^ a b c d 人事興信録 1915, p. コ15.
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、354頁。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 原田道寛編『大正名家録』二六社編纂局、1915年。
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