哀帝 (唐)

哀帝 李柷
第23代皇帝
王朝
在位期間 天祐元年8月16日 - 天祐4年3月27日
904年9月27日 - 907年5月12日
都城 洛陽
姓・諱 李祚→李柷
諡号 孝哀皇帝(後梁太祖による)
昭宣光烈孝皇帝(後唐荘宗による)
生年 景福元年10月3日
892年10月27日
没年 開平2年2月22日
908年3月26日
昭宗
何皇后(中国語版)
陵墓 温陵
年号 天祐 : 904年 - 907年

哀帝(あいてい)は、唐朝の第23代(最後)の皇帝。昭宗の九男。昭宣帝(しょうせんてい)とも呼ばれる。また唐の皇帝としては2人目(追尊を除く)の、廟号を贈られなかった皇帝であった。

生涯

初めは輝王に封じられる。904年に父の昭宗が朱全忠により殺害されると、その朱全忠により擁立された。しかし、禅譲のためだけに即位させられたに過ぎず翌905年2月には徳王李裕・棣王李祤・虔王李禊・沂王李禋・遂王李禕・景王李祕・祁王李祺・雅王李禛・琼王李祥ら、自身の兄弟9人が朱全忠の開いた偽りの宴会にて殺害されると、さらに6月には貴族層であった唐の朝臣も粛清され(白馬の禍)、907年には朱全忠への禅譲を余儀なくされた。禅譲後は後梁済陰王に封じられたが、翌908年に後難を恐れた太祖朱晃(朱全忠より改名)によって曹州の済陰宮で毒殺された。享年17。

の第23代皇帝(904年 - 907年)

高祖 618–626 / 太宗 626–649 / 高宗 650–683 / 中宗 684 / 睿宗 684–690 / 中宗 (重祚) 705–710 / 殤帝 710 / 睿宗 (重祚) 710–712 / 玄宗 712–756 / 粛宗 756–762 / 代宗 762–779 / 徳宗 780–805 / 順宗 805 / 憲宗 806–820 / 穆宗 821–824 / 敬宗 824–826 / 文宗 826–840 / 武宗 840–846 / 宣宗 846–859 / 懿宗 859–873 / 僖宗 873–888 / 昭宗 888–904 / (徳王 900–901) / 哀帝 904–907

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