吉原市

よしわらし
吉原市
吉原市章
吉原市章
1948年昭和23年)4月1日制定
廃止日 1966年11月1日
廃止理由 新設合併
吉原市、(旧)富士市、鷹岡町→富士市
現在の自治体 富士市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 静岡県
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 174.56km2.
総人口 90,224
(1965年10月1日(国勢調査))
隣接自治体 富士市富士宮市沼津市御殿場市富士郡鷹岡町駿東郡裾野町、原町、長泉町
吉原市役所
所在地 静岡県吉原市今泉町43番地の1
座標 北緯35度09分41秒 東経138度40分35秒 / 北緯35.16139度 東経138.67631度 / 35.16139; 138.67631座標: 北緯35度09分41秒 東経138度40分35秒 / 北緯35.16139度 東経138.67631度 / 35.16139; 138.67631

富士地域の町村制施行時の町村。6が吉原町。(1.元吉原村 2.須津村 3.吉永村 4.原田村 5.今泉村 7.島田村 11.伝法村 12.大淵村 13.鷹岡村→町)
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吉原市(よしわらし)は、静岡県東部にあったである。1966年(昭和41年)11月1日に(旧)富士市富士郡鷹岡町と合併し、富士市となった。

概要

江戸時代には東海道宿場町吉原宿があった。

吉原宿は当初現在の元吉原(JR東海道本線吉原駅がある)にあったが、1639年1680年高潮により、現在の富士市依田原付近、続いて吉原本町へと2度移転した。移転により東海道は大きく湾曲することになり、それまで(江戸から京に向かった場合)右手に見えていた富士山が左手に見えることから"左富士"と呼ばれる景勝地となった。往時は歌川広重の絵にあるような松並木であったが現在は一本の松の木が残るのみである。

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、富士郡吉原宿が吉原町(初代)となる。
  • 1940年(昭和15年)4月1日 - 富士郡島田村を編入する。
  • 1941年(昭和16年)4月3日 - 富士郡伝法村を編入する。
  • 1942年(昭和17年)6月14日 - 富士郡今泉村と合併し、吉原町(2代目)となる。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 市制施行により、吉原市(初代)となる。
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月11日 - 富士郡元吉原村須津村、吉永村、原田村と合併し、吉原市(2代目)となる。
    • 4月1日 - 富士郡大淵村を編入する。
  • 1956年(昭和31年)4月1日 - 駿東郡原町のうち船津・西船津・境を編入する。
  • 1957年(昭和32年)10月 - 吉原市体育館完成。
  • 1959年(昭和34年)1月 - 吉原市民会館がオープンする。
  • 1966年(昭和41年)11月1日 - (旧)富士市、富士郡鷹岡町と合併し、新・富士市となる。

行政

歴代市長

吉原町長まで『静岡県歴史人物事典』による[1]

氏名 就任 退任 備考
旧吉原町長(官選)
1 川島新作 1889年6月
2 堀内半三郎 1891年6月
3 望月恵作 1895年5月
4 藤波浩 1899年4月
5 鈴木又二郎 1902年7月
6 川島延太郎 1910年7月
7 川島福太郎 1914年7月
8 堀内省吾 1919年2月
9 井出義作 1923年2月
吉原町長(官選)
9 井出義作 1942年6月
10 望月恵作 1945年2月
吉原町長(公選)
11 房間熊吉 1947年4月
旧吉原市長(公選)
1 房間熊吉 1948年4月1日 1948年
2 鈴木清一 1948年11月 1952年
3 金子彦太郎 1952年11月 1955年2月10日
吉原市長(公選)
1 金子彦太郎 1955年3月4日 1963年12月4日 死去
2 斉藤滋与史 1964年1月16日 1966年10月31日 廃止

スポーツ

出身著名人

脚注

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参考文献

  • 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249。 

関連項目

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