南萬春
南萬春 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 남만춘 |
漢字: | 南萬春 |
発音: | ナム・マンチュン |
日本語読み: | なん ばんしゅん |
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南 萬春(ナム・マンチュン、1892年 - 1938年)は、朝鮮系ロシア人の抗日運動家、革命家。
人物
アムール州で出生し、1914年にギムナジウムを卒業。同年にキエフ(当時ロシア帝国領)の医科大学に入学予定であったが、第一次世界大戦勃発により徴兵された。1917年のロシア革命後に社会主義運動に参加し、内戦が激化する中、白軍の追跡を逃れてイルクーツクに移り、同地でボリシェヴィキに入党した。1920年には、ロシアに帰化した朝鮮人をまとめて、韓族部を設立し、翌年には高麗共産党(朝鮮語版)イルクーツク派に改編した。上海派とイルクーツク派の派閥対立が深刻化すると、コミンテルンにより、朝鮮人の統一された共産党を組織する目的でコルビューロー(꼬르뷰로)が設立されるが、南萬春は一線を画し、主としてボリシェヴィキの一員として活動した。1938年にヨシフ・スターリンにより粛清された。
参考文献
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