会津兼定

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会津 兼定(あいづ かねさだ)は、日本の刀工。桃山時代から江戸時代末期にかけて11代に渡り刀を造った[1]

  • 古川清右衛門 (初代会津兼定) - 初代会津兼定にあたり、三代目関和泉守兼定の息子[2]
  • 古川孫一郎 - 二代会津兼定。初代にあたる清右衛門の息子で、蒲生家に仕える[2]
  • 古川孫右衛門 (三代会津兼定) - 三代目会津兼定。寛永加藤氏保科家に仕える[2]
  • 古川孫右衛門 (四代会津兼定) - 四代目会津兼定。寛文8年5月27日に近江大掾(おうみのだいじょう)を受領し、宝永4年には入道する[2]
  • 古川数右衛門 - 五代目会津兼定。先代の門人にあたる兼友の後見を受け。幼いころに家督を受け継いだ[2]
  • 近江 (六代会津兼定) - 六代目会津兼定。後に兼氏に銘を改める[2]
  • 治大夫 - 七代目会津兼定。天明6年に没する[2]
  • 近江 (八代会津兼定) - 八代目会津兼定。文化6年に没する[2]
  • 与惣右衛門 - 九代目会津兼定。後に兼氏に銘を改める[2]
  • 古川業蔵 - 十代目会津兼定。四代兼友門にあたる[1]
  • 和泉守兼定 (十一代会津兼定) - 会津兼定の十一代目にあたり、明治25年6月に皇太子に刀を奉納する[1]

脚注

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出典

  1. ^ a b c 飯田 2016, p. 137.
  2. ^ a b c d e f g h i 飯田 2016, p. 136.

参考文献

  • 飯田一雄『日本刀工 刀銘大鑑』(初)淡交社、2016年3月7日。ISBN 978-4-473-04075-6。 NCID BB20941782。