今江敏晃

今江 敏晃
東北楽天ゴールデンイーグルス 監督 #98
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府向日市
生年月日 (1983-08-26) 1983年8月26日(40歳)
身長
体重
180 cm
89 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手一塁手
プロ入り 2001年 ドラフト3巡目
初出場 2002年4月28日
最終出場 2019年6月28日
年俸 4000万円(2024年)
※2024年から2年契約[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス (2020 - )
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
WBC 2006年
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
日本の旗 日本
ワールド・ベースボール・クラシック
2006

今江 敏晃(いまえ としあき、1983年8月26日 - )は、京都府向日市出身の元プロ野球選手内野手、右投右打)、プロ野球監督2024年シーズンより東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務める[2]

現役時代には2002年から2015年まで千葉ロッテマリーンズ2016年から2019年まで東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍した。楽天移籍後の2017年から、現役を引退する2019年までは、「今江 年晶(読み同じ)」という登録名を用い[3]、現役引退後の2020年から楽天のコーチへ就任することに伴って、登録名を再び本名に戻した[4]

経歴

プロ入り前

少年野球チームは向陽オックスに所属。中学3年生の時には、全日本中学野球選手権大会 ジャイアンツカップで全国優勝[5]を果たすと、ボーイズリーグの世界選抜として世界大会でも優勝。PL学園高等学校で1年生時から4番打者を務め、2000年の夏の甲子園に出場、3回戦で敗退。当時の同級生には朝井秀樹桜井広大小斉祐輔らがいる。また1学年上に中尾敏浩がおり、二遊間を組んだ。高校通算本塁打は30本[6]

2001年のNPBドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから3巡目で指名を受け、契約金7500万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は、PL学園高校の先輩に当たる得津高宏が、ロッテの外野手時代に着用していた25

ロッテ時代

2002年は4月28日に大阪ドームで開かれた対大阪近鉄バファローズ戦9回表に代打として一軍デビュー。4月30日の対福岡ダイエーホークス戦(千葉マリンスタジアム)では遊撃手として一軍初のスタメン出場を果たした。その後に一時出場選手登録を抹消されるが、抹消後は二軍のレギュラーを獲得。後半戦に再び一軍へ登録されると、9月30日の対西武ライオンズ戦(西武ドーム)で一軍初安打。一軍公式戦全体には15試合に出場。通算25打席で打率.200という成績ながら、2打点を記録したほか、5安打のうち3本が二塁打であった。

2003年イースタン・リーグの選抜選手としてフレッシュオールスターに出場。1-3で迎えた8回裏一死満塁の打席で走者一掃の逆転三塁打を放ったことから、MVPに選出された。しかし、一軍公式戦には5試合の出場で、6打数2安打(打率.333、1二塁打)という成績にとどまった。

2004年遊撃手のレギュラーに小坂誠がいたため、強肩を生かして外野手へのコンバートを打診されたが、内野手をやりたいという自身の希望で三塁手にコンバート。6月から初芝清マット・フランコらと三塁手のレギュラーを争う活躍を見せ、6月にはプロ初本塁打を記録。しかし、投球を手に受けたこと(スイングしていたため、判定はストライク)による故障により41試合の出場に留まった。シーズンオフに、背番号をかつて「ミスターロッテ」と呼ばれて三塁手でもあった有藤道世[7]が背負っていた8に変更した。

ロッテ時代(2011年8月6日)

2005年は、「9番・三塁手」として初の開幕スタメンを果たした。三塁手としてレギュラーに定着すると、一気にチームトップとなる132試合に出場、球団史上歴代5位となるシーズン22試合連続安打を記録、8月の月間打率は4割を超え、一時は打率がリーグ1位に。その後も調子を維持し初の規定打席と3割に到達。またこの年のパ・リーグ最多二塁打となる35二塁打を記録。リーグ優勝時は、チームが内野手を全て使い切ったため三塁を初芝清に譲り、二塁で優勝の瞬間を迎えた。日本シリーズでは、第1戦・第2戦で8打席連続安打、シリーズ打率.667と新記録を達成し、日本シリーズMVPにも選出される。こうした活躍を高く評価され、三塁手部門のベストナインと初のゴールデングラブ賞を受賞。

2006年は開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出された[8]。同大会では、5試合に出場し4打点を挙げ、日本の優勝に貢献した。

シーズンでは前半は2番に起用されることが多かったが、調子の波が激しく打撃が安定しなかった。三塁のレギュラーは守ったものの結局最後まで不調に終わり、打率を大きく下げた。最後のパ・リーグ東西対抗にて3ランを含む3安打でMVPとなる。この年も連続でゴールデングラブ賞を受賞(2回目)。

2007年は5月に左手有鈎骨を骨折したのもあり、前年同様の打撃不振に陥り打率.249とさらに下げた。打順はほとんど8番か9番。また、故障により守備面でも不安があり堀幸一青野毅にポジションを譲ることもあったが、ゴールデングラブ賞を3年連続で受賞。

2008年は前2シーズンと打って変わって打撃好調を維持し、9月7日までに打率.309、12本塁打、55打点を挙げるものの、同日の対ソフトバンク戦で水田章雄より右上腕へ死球を受け右尺骨骨折し、登録抹消。結局一軍に復帰できないままシーズン終了となった。この年は本塁打を2桁を記録するなど打撃は好調だったものの守備では若干成績を落とし、特に補殺と併殺参加数は前シーズンまでと比べて少なかった(併殺参加数は2006年はリーグトップの24個だったがこの年はリーグ最少の4個しか記録できず。ワースト2位の草野大輔も13個記録していることからも少なさが分かる)。それでもゴールデングラブ賞を4年連続で受賞した。

2009年7月5日西村徳文一軍ヘッド兼外野守備走塁コーチがボビー・バレンタイン監督よりスタメンを告げられる際に、本来三塁で先発出場する予定だった今江の愛称である「ゴリ」と「」を聞き間違えてしまい、堀幸一が2年ぶりにスタメン三塁で出場する珍事があった。結局、堀は第1打席で犠牲フライを放ったのち、3回表の守備より今江と交代した[9]。同年はチーム4位の60打点を記録したものの、打率は.247と低調に終わり、2005年から受賞していたゴールデングラブ賞は小谷野栄一に譲ってしまった。

2010年はシーズン序盤は9番打者であったが、荻野貴司の故障後は2番に抜擢され、自己最多(リーグ3位)の犠打数を残した。シーズン終盤は清田育宏が2番に定着すると、5番や6番を任された。打率はリーグでも3位の.331と好調、本塁打を除いて自己最高のシーズンを送り、チームのクライマックスシリーズ進出にも貢献した。日本シリーズでも打率.444を記録し、2度目の日本シリーズMVPを獲得した。

2012年はチームの主将に就任[10]。同年は136試合に出場して6本塁打、打率.253、47打点を記録した。

2013年は主将の座を岡田幸文に譲った。5月15日の読売ジャイアンツ戦ではプロ入り後初の4番打者に入ると、そこからは4番に定着。本塁打こそ年間10本とクリーンアップとしては少なかったが、打率は.325パ・リーグ2位、守備率も三塁手リーグ1位の.969を記録し、攻守にわたりチームのクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。この年には海外FA権を取得したが、シーズン終了後の球団との契約交渉では、権利を行使しないまま新たに2年契約を結んだ。

2014年は脹脛の筋膜炎で開幕に間に合わず、4月1日の本拠地開幕戦から一軍に復帰した[11]。しかし、わずか2週間後に腰痛で登録抹消となるなどシーズンを通して体のコンディションに苦しみ、打撃も前年に比べて安定せず、2番から9番まであらゆる打順で起用された。

2015年はオープン戦で打率.313を記録。また、前年のシーズン中盤から4番を打っていたアルフレド・デスパイネが4月中旬まで母国・キューバの国内リーグに参加していた関係で、公式戦の開幕から4番打者を任された[12]。その一方で、5月22日の対オリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)では、8回表の打席で佐藤達也から頭部に死球を受けて交代(佐藤は吉本文弘球審からの危険球宣告で退場)[13]。翌23日の同カード(京セラドーム大阪)では本塁打、6月3日の対阪神戦(甲子園)では単打を放てばサイクル安打を記録できる状況(詳細後述)で最終打席を迎えたが、いずれも達成に至らなかった[14][15]。さらに、7月14日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)8回表の打席で、岸田護から死球を受けて左手を骨折[16]。9月11日の同カード(QVCマリンフィールド)で一軍に復帰するまで、約2か月間の戦線離脱を余儀なくされた[17]。同年限りでロッテとの2年契約が満了したことを受け、同年シーズン終了後の11月10日に、前述の海外FA権を行使することを表明[18]。ロッテでは基本としてFA権行使表明選手の残留を認めない方針を立てていたため、ロッテを退団することが決定した[18]。翌11日には、NPBから海外フリーエージェント宣言選手として公示された[19]。その後、同じパシフィック・リーグに所属する東北楽天ゴールデンイーグルスが、公示を機に獲得交渉に乗り出した[20]

なお、シーズン途中の7月16日にはオフの11月に開催された第1回WBSCプレミア12日本代表第1次候補に選出された[21]が、最終ロースターには選出されなかった。

楽天時代

2015年11月27日、楽天への入団が発表された[22]、背番号はロッテ時代と同じ8。楽天がFA権の行使を宣言した選手を他球団から獲得した事例は、中日ドラゴンズに在籍していた中村紀洋と2009年から2年契約を結んで以来2例目である[23]。なお、ロッテ球団は2016年1月13日、今江の移籍に関する補償措置として、人的補償ではなく金銭補償(推定1億6000万円)を求めた[24]

2016年は、ロッテ時代の2014年に発症した左脹脛痛が、春季キャンプ直前の自主トレーニング中に再発。その後の検査で左脹脛筋炎と診断されたため、キャンプのスタートを二軍で迎えた[25]オープン戦の中盤から一軍に合流する[26]と、公式戦では、5月11日の埼玉西武ライオンズ戦(楽天Koboスタジアム宮城)でNPB一軍公式戦通算300二塁打を達成[27]。その一方で、前半戦には死球による左尺骨の骨挫傷[28]や、打撃不振[29]などで2度にわたって一軍の戦線を離れた。後半戦では、7月20日の対日本ハム戦(帯広の森野球場)で一軍公式戦の移籍後初本塁打[30]を記録すると、次の試合であった7月22日の対ロッテ戦で古巣からの初本塁打を放った[31]。さらに、8月26日の対オリックス戦(いずれもKoboスタ宮城)では、NPB史上122人目の一軍公式戦通算1500安打を記録[32]。一軍公式戦全体では、3本塁打、打率.281という成績を残したものの、戦線離脱が相次いだ影響で89試合の出場にとどまった。なお、シーズン終了後の11月17日には、翌2017年から登録名を「今江年晶」に変更することを発表した[33]

2017年は、オリックスとの開幕カード(京セラドーム大阪)に「6番・一塁手」としてスタメンに起用されると、3試合通算で7安打を放つなど打撃が好調[34]。4月6日の対ソフトバンク戦で右太腿半腱様筋の筋膜炎を発症したため、一時戦線を離脱した[35]ものの、前半戦では主に「6番・一塁手」としてチームの首位ターンに貢献した。7月27日の対ソフトバンク戦(いずれもKoboパーク宮城)6回表の一塁守備で、松田宣浩が放ったゴロを処理した三塁手ゼラス・ウィーラーからの悪送球を跳び上がりながら捕って着地したところ、右打席から一塁へ走り込んできた松田と交錯。その影響で左手首を痛めたため、途中交代を余儀なくされた。後の診断で、左尺骨骨幹部の骨折によって全治2か月半を要することが判明し、7月28日には、出場選手登録を抹消されるとともに、左尺骨プレート固定術による手術を受けた[36]。この手術によってレギュラーシーズンの残り試合を棒に振ったが、チームのレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでは、クライマックスシリーズから代打要員として実戦に復帰した。

2018年は、主に4番打者として、前半戦で打率3割を記録。オールスターゲームにもパ・リーグの監督推薦選手として5年ぶり3度目の出場を果たすと、7月14日の第2戦(リブワーク藤崎台野球場)では、8回裏に代打で適時打を放った[37]。一軍公式戦全体では、ロッテ時代の2014年以来、4年ぶりにパ・リーグの最終規定打席へ到達。リーグ15位の打率.276、自身5年ぶりの10本塁打、49打点を記録した。シーズン終了後に3年契約の満了を受けて臨んだ契約交渉では、2016年・2017年シーズンの低迷を背景に、NPBの年俸減額制限(1億円以上の選手の場合は最大で40%)を超える減俸を球団から提示。この年に楽天への移籍後最高の成績を残したにもかかわらず、推定年俸5000万円(2億円の前年から75%減)という条件で契約を更改した[38]

2019年は、自主トレーニングの期間中から、右目が原因不明の不調に見舞われた。春季キャンプ直前の検査で右眼球中心性漿液性脈絡網膜症と診断されたため、キャンプでは他の選手より遅く二軍で始動した[39]。5月4日から一軍へ合流すると、公式戦26試合に出場。打率.276、1本塁打、7打点という成績を残した。しかし、右目への違和感が払拭されないまま、7月4日以降は自身の希望で二軍での再調整に専念[40]。二軍のイースタン・リーグ初優勝で臨んだソフトバンクとのファーム日本選手権(10月5日)にも、「6番・指名打者」としてフル出場した[41]ものの、後に球団からコーチへの就任を打診された。当初は他球団での現役続行も視野に入れていたが[42]、10月15日に現役引退と指導者への転身を表明[43]。同月18日には、引退記者会見へ臨む[44]とともに、NPBから任意引退選手として公示された[45]

引退後

2019年10月22日、2020年は楽天の育成コーチを務めることが発表された[46]。背番号は98。就任後の登録名は「今江敏晃」。

また、2020年1月22日には、芸能事務所・グレープカンパニーへの所属が発表された[47][48]

その後、2021年は二軍打撃コーチを[49]2022年は育成内野守備走塁コーチを務めた[50]2023年は再び二軍打撃コーチを務めていたが[51]、一軍が5月25日時点でリーグワーストとなるチーム打率.209、121得点を記録したことを受け、雄平と入れ替わりで一軍打撃コーチに配置転換された[52]

シーズン終了後の10月17日、石井一久の後任として2024年の一軍監督に就任することが発表された[2]。2年契約で推定年俸は4000万円[1]。球団創設20年目で歴代10人目の監督であり、40歳での就任は2019年に監督代行から監督に就任した平石洋介の39歳に次ぐ2番目の若さとなり、就任時点で12球団最年少の指揮官となった[53]

選手としての特徴

打席に立つ今江
(ロッテ時代の2010年11月13日、東京ドーム

打撃

広角にライナー性の強い打球を放つ打撃を持ち味とした中距離打者[54]。2008年にはボール球スイング率36.6パーセント、翌2009年には同43.2パーセントを記録するなど、ボール球でも強引に振りにいく非常に積極的な打撃スタイルであった[55]。また、そういった打撃姿勢からキャリアを通して早打ち傾向であり、他のプロ野球選手と比べて三振が少ない反面、四球も非常に少なかった(最高でも2018年の32四球)[56]

守備・走塁

守備では三塁手として起用され、2005年シーズン中盤まで、半身に構える独特のスタンスで守備に就いていた。三塁守備は打球反応や出足の速さ、グラブ捌き、スローイングのいずれも高いレベルにあり[54]、ライナー性の打球やフライに強く[57]、2005年から4年連続でゴールデングラブ賞を受賞した。楽天移籍後は一塁手として起用される機会が増えていた。

走塁面では盗塁の試行数は多くないものの、右打者ながら一塁到達まで3.85秒を記録するなど全力疾走を怠らなかった[58]

人物

  • 愛称は「ゴリ」。
  • 2004年に一般女性と結婚し、翌年10月のプレーオフ開催中に第1子が誕生した。
  • 2005年シーズンには一時首位打者争いをするなど頭角を表す。西岡剛と共に「ボビーチルドレン」と呼ばれた。
  • 2010年までの応援歌はイ・ジョンヒョンの「ワ」が原曲。以前は石井浩郎伊与田一範の応援歌として使われており、2003年に伊与田が戦力外通告を受け退団したため、2004年から「ワ」に変わった(2010年はマイナーチェンジし、より原曲に近くなった)。「ワ」以前は同じイ・ジョンヒョンの「ヌ」を応援歌として使用していた。2011年から『ソウルキャリバーII』のBGM「Brave Sword, Braver Soul」に変更された。
    • 2006年シーズンの一時期、登場曲にえちうらの「曖昧な態度やめて」とともに「ワ」を使っていた。
  • イチローの大ファンである[59]
  • 幼少期に両親の影響で巨人を応援していたことから、現在も長嶋茂雄を敬愛。前述したジャイアンツカップの表彰式や、2015年の第17回ゴールデンスピリット賞表彰式(詳細後述)では、長嶋から直々に祝福を受けている[5]
  • 2015年1月に野球界を代表して「Athlete Dresser Award 2015」の1人に選ばれるほど、普段からファッションへの関心が高い[60]

社会貢献活動

ロッテ時代の2006年に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」29』(日本テレビ)で「群馬アトム」(群馬県障がい者野球チーム)に所属する投手の練習映像を偶然見たことをきっかけに、同年11月から「群馬アトム」との交流を開始。自身が出場する試合に関係者を定期的に招待したり、シーズン終了後に練習へ参加したりするなど、現在まで交流を続けている[61]

また、東日本大震災(2011年)では、当時住んでいた千葉県浦安市内の自宅が液状化現象の被害を受けた。この経験に加えて、ロッテ球団の職員に被災地・福島県いわき市の出身者がいることから、現地の小・中学校を定期的に訪問するなど、いわき訪問の活動を2011年以後毎年続けている(なお、いわきは、東北楽天のチームメイトである内田靖人の出身地でもある)[62]。現在では、「今江スマイルプロジェクト」と称して、以下の活動も長期にわたって続けている。このような活動が評価されたことから、2015年のシーズン終了後には、第17回ゴールデンスピリット賞を受賞した[61]

  • ペットボトルのキャップの選別作業で生計を立てている障がい者の社会進出を支援する目的で、キャップの収集を呼び掛けるとともに、集まったキャップを選別作業所へ随時届けている[61]
  • ロッテ時代には、千葉マリンスタジアム(QVCマリンフィールド)での主催公式戦に、県内の児童養護施設の関係者を定期的に招待。シーズン終了後も、施設を訪問することによって、施設で暮らす子どもたちと定期的に交流している。2015年9月には、白血病を患う少年と、その家族を試合に招いたこともあった[63]
  • 「ミルフィーユ小児がんフロンティアーズ」(小児がん患者を支援するNPO法人)の理事を、夫婦で務めている。2010年からは、「公式戦1打点につき1万円」という単位で、同法人への寄付を開始。2015年までに、総額で303万円の寄付金を贈呈した[61]。また、同法人を通じて、小児がんや脳性まひを抱える少年少女と交流する機会を定期的に設けている。

2015年11月26日のゴールデンスピリット賞授賞式では、副賞の200万円を寄付することを表明するとともに、(当時未発表だった)楽天への入団が決まった場合にも活動を継続することを示唆[5]。楽天への入団発表直後(同年12月15日)には、ロッテ時代に続いていわき市を訪れるとともに、現役を引退してからも同市との交流を続ける意向を示した[64]。なお、楽天への移籍後も、以上の活動を継続している。

その他

  • ゴリという愛称からかファンからバナナをプレゼントされたことがある。しかし、今江の好物はソーセージであり、公式サイトの好きな食べ物の欄にソーセージと書くほどである(千葉マリンスタジアムで販売されるマッチカードプログラムの4コマ漫画でもネタにされた)。
    • 2008年シーズンは故障でファーム調整に入った後、“クライマックスシリーズに一緒に行こう!”と、本人と同じ背番号のユニフォーム・同じリストバンドを着けさせ、サングラスを掛けさせたゴリラのぬいぐるみが“本人代理”としてベンチに同席した。
  • 横浜DeNA神内靖投手とは同級生で京都のリトル・リーグ時代から対戦しており現在も交友がある。プロ野球選手として初めての対戦となった試合で、今江は当時福岡ダイエー所属の神内からプロ入り1号本塁打を放っている。この時、今江は骨折からの復帰戦で放った本塁打であり、当時交際していた現在の夫人へとそのボールを渡そうとしていた為、様々な手を尽くしてそのボールを得たという。
  • 2006年ワールド・ベースボール・クラシックの二次予選・韓国戦でセンター金城龍彦からの返球を落としてしまい、さらに「落としていない」とアピールする間に打者走者に二塁への進塁を許してしまった(記録にはエラーはついていない)。結果的にこのアピールによって決勝点を挙げられ、「もう日本に帰っても生きていけない」と考えるほどに思いつめたという。しかし決勝では2点適時打を放った。
  • そのWBCでチームメイトだった岩村明憲メジャーリーグに移籍する際、アメリカの公式サイトにて写真が岩村ではなく今江だった、という事件が起きた。偶然にも、マリーンズの三塁手の前任者・初芝清にも同様の事件が起きている(アメリカのスポーツニュース番組でイチローの紹介があった時の顔写真が初芝だった)。
  • 2006年12月28日の契約更改時、当初は「推定300万増の年俸5800万円」と報道された。しかし翌日、今江自身が「300万アップではなく、1000万アップ」と異例の修正コメントを提出。増額公開の理由は「これだけ貰う選手である、というプライドがある。そして球団に評価して貰ったということを伝えたかった」と表明した。
  • 京成バス幕張本郷駅千葉マリンスタジアム間路線でのロッテ選手音声による自動放送車内アナウンスが流されており、そのうち今江は「皆が気持ちよく利用出来るよう、空き缶、新聞・雑誌は車内に置き去らず、持ち帰って」といった内容を担当していた。
  • ピアノが上手で、母校の卒業式に訪れてピアノを演奏したことがある。
  • ロッテ時代の2006年6月11日には、千葉マリンスタジアムの対読売ジャイアンツ(巨人)戦3回表二死一塁で、かつてのチームメイトだった李承燁がロッテ先発の渡辺俊介からライトスタンドへ本塁打を放った。しかし、一塁から本塁へ生還した小関竜也が三塁を踏み忘れていたことを、三塁手の今江が三塁塁審の西本欣司にアピール。さらに、西本が小関の得点の取り消しを宣告したことによって、スリーアウトチェンジで巨人の攻撃が終了した。ちなみに、公式記録では、李承燁の一打が単打として扱われている。
  • ロッテ時代の2015年には、佐藤健、加藤茶マーくん(球団公式マスコットキャラクター)などと共に、親会社の製品(アイスクリーム)である「」のミュージックビデオ「爽だ♪いい湯だな♪2015」へ出演。同年4月13日からは、この動画が同製品のスペシャルサイトで配信された[65]。7月12日の対福岡ソフトバンクホークス戦(QVCマリンフィールド)の試合前には、チームメイトの角中勝也香月良仁と共に、親会社の製品である冷菓を球場のゲート付近で数量限定販売。今江は、「クーリッシュ」の売り子を務めた[66]
  • 2015年5月8日には、QVCマリンフィールドの対西武戦6回表一死二・三塁で、三塁手として栗山巧のファウルフライを追っていた今江が西武の三塁コーチ・奈良原浩と衝突。今江が左手に付けていたグラブが弾かれるほどの激しい衝突だったが、三塁塁審の敷田直人は、奈良原に対して守備妨害を宣告した[67]
  • 2015年6月3日の対阪神戦(前述)では、4回表の第2打席で二塁打を放ったものの、チームは6回裏終了の時点で8点差を付けられていた。しかし、7回表に先頭打者として第3打席で三塁打を放つと、二死一・二塁で迎えた第4打席に松田遼馬からシーズン初本塁打(3点本塁打)を記録。この本塁打でチームを同点に導いたばかりか、今江自身にもサイクル安打達成の可能性が残った。しかし今江は、9回表二死三塁で迎えた最終打席に、安打性のレフトフライで凡退。チームも延長10回裏に、鳥谷敬犠牲フライでサヨナラ負けを喫している[15]
  • 楽天移籍後の2016年3月29日には、古巣・QVCマリンフィールドでのロッテ戦に、「5番・三塁手」としてスタメンで出場。楽天の一員として初めて同球場での公式戦へ登場し古巣のロッテファンから大きな歓声と温かい拍手で迎えられた[68]。その一方で、2018年7月18日にZOZOマリンフィールドで催された同カードの第5打席では、ロッテファンからブーイングを受けた。直近の打席(第4打席)で益田直也による肩付近への投球に当たっていなかったにもかかわらず、頭部に投球を受けた素振りを見せたことをきっかけに、益田が危険球を投じたとみなされて退場処分を受けたことによる。今江によれば、「(自分には益田の投球が)当たったように感じられたので、捕手(田村龍弘)に訊いたら、『当たってます』と言われた。確かに左頭部も熱っぽかったので、いったんベンチに戻ったところ、スタンドから『(死球の)演技がうまいな』といったヤジが聞こえた。自分は(投球を)よけていて分からないから、『頭に当たったのにブーイングを浴びせられるのはなぜか』と思った」という[69]。もっとも、以上の状況で迎えた第5打席では、南昌輝から中前安打を放っている。
  • 妻は10歳年上で、今江がロッテへの入団2年目だった19歳から交際。2004年に結婚すると、「(今江が)プロ(野球)でうまく行かなくても私が生計を立てれば良い」という姿勢で、翌2005年以降の今江の活躍を支えた。妻は結婚を機に、今江のために作った料理をすべてノートに記録。今江が楽天への移籍を機に本拠地・仙台市で生涯初の単身生活を送り始めてからも、シーズン中に現地と東京都内の自宅を何度も往復しながら、食生活のサポートを続けている。TBSテレビの制作で2017年7月17日にTBS系列で全国に放送された特別番組『壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち』では、今江夫妻への密着取材の映像を交えながら、上記の生活の一端を紹介していた[70]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2002 ロッテ 15 25 25 0 5 3 0 0 8 2 0 0 0 0 0 0 0 7 1 .200 .200 .320 .520
2003 5 6 6 0 2 1 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .333 .333 .500 .833
2004 41 149 136 12 35 8 2 1 50 18 0 1 3 2 5 0 3 21 1 .257 .295 .368 .663
2005 132 509 461 58 143 35 3 8 208 71 4 1 10 5 22 4 11 62 16 .310 .353 .451 .804
2006 126 489 457 49 122 25 2 9 178 47 3 2 11 3 17 0 1 74 9 .267 .293 .389 .682
2007 102 338 305 32 76 14 2 9 121 42 0 0 12 4 13 1 3 55 8 .249 .283 .397 .680
2008 117 450 405 57 125 37 4 12 206 55 3 1 14 6 19 1 6 48 7 .309 .344 .509 .853
2009 113 441 409 35 101 19 2 9 151 60 2 3 12 2 12 0 6 60 17 .247 .277 .369 .646
2010 140 596 531 74 176 37 1 10 245 77 8 3 30 5 22 0 8 66 10 .331 .364 .461 .825
2011 134 543 499 53 134 30 1 8 190 51 2 1 10 6 20 0 8 48 13 .269 .304 .381 .685
2012 136 501 446 45 113 21 3 6 158 47 0 3 23 8 19 0 5 37 15 .253 .287 .354 .641
2013 132 551 508 44 165 26 0 10 221 74 5 2 2 11 26 2 4 45 12 .325 .355 .435 .790
2014 120 478 445 48 120 23 3 10 179 54 1 1 4 1 23 0 5 43 13 .270 .312 .402 .714
2015 98 400 373 40 107 18 4 1 136 38 2 2 0 2 16 1 9 35 17 .287 .330 .365 .695
2016 楽天 89 351 317 33 89 7 0 3 105 23 2 1 4 1 25 0 4 30 13 .281 .340 .331 .671
2017 51 135 128 11 32 7 1 1 44 10 0 0 1 0 6 0 0 26 3 .250 .284 .344 .627
2018 127 465 421 44 116 17 2 10 167 49 0 3 0 4 32 5 7 76 19 .276 .334 .397 .731
2019 26 79 76 7 21 2 0 1 26 7 0 1 0 0 3 0 0 16 6 .276 .304 .342 .646
通算:18年 1704 6506 5948 642 1682 330 30 108 2396 726 32 25 136 60 280 14 80 751 180 .283 .321 .403 .723
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 2018年の併殺打は三重殺1を含む

WBCでの打撃成績

















































2006 日本 5 10 10 0 2 0 0 0 2 4 0 0 0 0 0 0 0 2 1 .200 .200 .200

年度別守備成績



二塁 三塁 遊撃 一塁
















































2002 ロッテ 2 0 0 0 0 .--- 9 5 9 1 0 .933 4 1 3 1 0 .800 -
2003 1 0 0 0 0 .--- 2 1 1 0 0 1.000 - -
2004 - 41 32 55 3 4 .967 - -
2005 1 0 1 0 0 1.000 132 99 264 9 24 .976 - -
2006 - 125 78 225 12 24 .962 - -
2007 - 99 64 183 5 6 .980 - -
2008 - 117 98 174 6 4 .978 - -
2009 - 111 86 185 9 13 .968 - -
2010 - 137 125 257 17 28 .957 - -
2011 - 127 91 200 6 9 .980 - -
2012 - 134 106 209 11 10 .966 - -
2013 - 130 83 202 9 19 .969 - -
2014 - 117 77 159 10 13 .959 - -
2015 - 97 60 164 7 16 .970 - 1 3 1 0 0 1.000
2016 楽天 - 83 59 150 10 13 .954 - 4 30 0 1 3 .968
2017 - 14 2 4 0 0 1.000 - 35 228 9 2 22 .992
2018 - 47 24 55 3 6 .963 - 49 354 26 0 29 1.000
2019 - 14 6 14 3 6 .870 - 2 8 1 0 0 1.000
通算 4 0 1 0 0 1.000 1536 1096 2510 121 195 .968 4 1 3 1 0 .800 91 623 37 3 54 .995

表彰

記録

初記録
節目の記録
日本シリーズでの記録
  • 初打席本塁打:2005年10月22日、対阪神タイガース1回戦(千葉マリンスタジアム)、1回裏に井川慶から左越先制ソロ ※史上13人目
  • 8打席連続安打:2005年10月22日 - 23日 ※史上最長[72]
  • 8打数連続安打:同上 ※史上最長[72]
  • 1試合4安打:2005年10月22、23日 ※史上最多タイ、史上20人目22・23度目、2試合連続で記録するのは史上初[72]
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:3回(2006年、2013年、2018年)

背番号

  • 25(2002年 - 2004年)
  • 8(2005年 - 2019年)
  • 98(2020年 - )

登録名

  • 今江 敏晃(いまえ としあき、2002年 - 2016年、2020年 - )
  • 今江 年晶(いまえ としあき、2017年 - 2019年)

代表歴

関連情報

出演

テレビ番組

脚注

[脚注の使い方]
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関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、今江敏晃に関連するカテゴリがあります。
  • 個人年度別成績 今江年晶 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube
  • 今江敏晃公式サイト - 今江主義 -
  • 今江敏晃(Toshiaki Imae) (@imatoshi.8) - Instagram
  • 今江敏晃 (@imatoshi08) - X(旧Twitter)
東北楽天ゴールデンイーグルス 2024
 
監督・コーチ
監督

98 今江敏晃

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支配下選手
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投手
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東北楽天ゴールデンイーグルス監督 2024 -
 
業績
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
パシフィック・リーグ ベストナイン(三塁手)
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
2005年 パシフィック・リーグ ベストナイン
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1972年から1985年まではダイヤモンドグラブ賞
 
パシフィック・リーグ ゴールデングラブ賞(4回)
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
 
日本の旗 野球日本代表
日本の旗 野球日本代表 - 2006 ワールド・ベースボール・クラシック 1 1位 優勝
監督
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内野手
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日本の旗 野球日本代表 - 2011年 第39回IBAFワールドカップ
監督
コーチ
投手
捕手
内野手
外野手
千葉ロッテマリーンズ - 2001年ドラフト指名選手
指名選手
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  • 代表取締役社長:中村歩
お笑いグループ
ピン芸人
マジシャン
俳優
フリーアナウンサー
アスリート
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  • 須藤陽平
  • 堀由史
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関連項目
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