中山寛
中山 寛(なかやま ゆたか、安政3年11月3日[1](1856年11月30日) - 昭和17年(1942年)2月4日[1])は、日本の弁護士。岡山市長。
経歴
岡山藩出身[2]。山田方谷らについて学んだ[2]。1879年(明治12年)、代言人試験に合格[2]。自由党に加わり、「岡山日報」を創設した[2]。岡山市会議員、岡山県会議員、岡山市参事会員に選出され、1907年(明治40年)から岡山市助役を務めた[2][3]。
1918年(大正7年)、岡山市長に就任し、1922年(大正11年)まで務めた。
親族
出典
- ^ a b 岡山市 秘書広報室秘書課・企画局情報企画課 The Lit City Museum 整備推進グループ. “歴代岡山市長” (日本語). 2019年9月17日閲覧。
- ^ a b c d e 岡山県人物評 1893, pp. 31–33.
- ^ 岡山市興信録 1922, p. 163.
- ^ 東京文化財研究所刊「日本美術年鑑」より:「中山寛」(2014年4月14日)、2019年9月17日閲覧。
参考文献
- 梶谷鉄傷編『岡山市興信録』新声時報社、1922年。
- 河野敏雄編『岡山県人物評 第1編』岡山県人物評発行所、1893年。
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1969年2月18日編入 |
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