トリスタン・コルビエール

トリスタン・コルビエール

トリスタン・コルビエール(Tristan Corbière, 本名:Édouard-Joachim Corbière, 1845年7月8日 - 1875年3月1日)は、フランスブルターニュ地方出身の詩人。僅か29歳で結核により夭折し、生涯は無名であったが没後に詩人のポール・ヴェルレーヌジュール・ラフォルグによって作品が高く評価された。ティボーデによってマラルメヴェルレーヌアルチュール・ランボーロートレアモン伯爵と並び『1870年の5人の異端者』に数えられる。

ヴェルレーヌが著書『呪われた詩人たち』の中で紹介したことをきっかけに、コルビエールの作品が広く読まれるようになった[1]。代表作は1873年パリ自費出版した詩集『黄色い恋』である。

フィニステール県プルジャン(en:Ploujean)(現:モルレー)に海軍士官、海洋小説家であるエドゥアール・コルビエール(en:Édouard Corbière)の元に生まれる。従兄弟ピクトリアリスムカメラマン、コンスタント・プヨ(en:Constant Puyo)がいる。

生涯

1845年7月8日にコート・カンガルにてブルターニュ人として誕生。父エドゥアルは海洋小説家であった。 12歳で中学校へ進学するも、16歳の時に関節リウマチを患い、学業を断念し、故郷へ帰る。

療養の後、ロスコフに移住し、そこで漁夫に交わり、幼少時から好んでいた海洋人として過ごす。最初は父特製のカヌーに乗り海へ出たが、後に小帆船に代わった。この間に「水夫」「最期」などの詩を創作する。

その後モンマルトルへ移り住み、極貧生活を送る。1873年、本人が編集に携わった唯一の詩集「黄色い恋」を刊行。父に費用の一部を負担してもらった自費出版で、当時はほとんど注目されなかった。

病躯でありながら不規則な生活を送っていたことが災いし、1875年3月1日に29歳の若さで逝去。生涯をほとんど無名の文学者として過ごした

死後の評価

詩人の死後、ヴェルレーヌの「呪われた詩人たち」で紹介され批評家や若い読者の注目を集めた。 詩人、文学者アンドレ・ブルトンはコルビエールを「睡眠への連祷」と評価し[2]、コルビエールはシュルレアリスムの先駆者であった。

脚注

  1. ^ コルビエールとは - コトバンク、2012年10月30日閲覧。
  2. ^ コルビエール - Yahoo!百科事典日本大百科全書、2012年10月30日閲覧。

訳書

  • 『アムール・ジョーヌ』 小澤真訳、幻戯書房ルリユール叢書、2019年

参考文献

5 *Template:筑摩世界文學体系 48 マラルメ ヴェルレーヌ ランボオ

関連項目

ウィキクォートにトリスタン・コルビエールに関する引用句集があります。
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