スゲシリ

スゲシリモンゴル語: Sügeširi、生没年不詳)は、コンギラト部出身の女性で、モンゴル帝国第7代皇帝クルク・カアン(武宗カイシャン)の妃の一人。『元史』などの漢文史料では速哥失里 (sùgēshīlǐ) 皇后と記される。

概要

『元史』巻118列伝6のデイ・セチェン伝によると、スゲシリは建国の功臣アルチ・ノヤンの弟の孫のカルジ(Qarǰi>hāérzhǐ/哈児只)の娘であったという[1]

ジンゲに関する記録はほとんど残されていないが、『元史』巻106表1后妃表などによると、カイシャンの正后ジンゲに次ぐ地位にあった。しかし、ジンゲ、スゲシリともにカイシャンの息子を産むことがなく、カイシャンには側室のイキレス氏から産まれたコシラ、タングート氏から産まれたトク・テムルしか後継者がいなかった。カイシャンの後継者の生母については、当時絶大な権力者であった皇太后ダギがコシラ、トク・テムルを疎み、自らと同じコンギラト部出身の女性(ラトナシリ)とカイシャンの弟のアユルバルワダ(仁宗ブヤント・カアン)から産まれたシデバラ(後の英宗ゲゲーン・カアン)を厚遇する遠因となった。

脚注

  1. ^ 『元史』巻118列伝6 特薛禅伝,「其諱速哥失里者,按陳従孫哈児只之女」。ただし、『元史』巻106表1后妃表では「ジンゲの妹」(「速哥失里皇后真哥妹也」)と記されるが、これは実際には従兄弟関係でも同じ一族であれば兄弟として扱うモンゴルの習慣のため。実際に、英宗シデバラは従兄弟の明宗コシラのことを「兄(aqa)」と呼んでいる(杉山1995,121ー123頁)。また、『元史』巻114列伝1后妃伝一では「ジンゲの従妹」とも記される(「速哥失里皇后、按陳哈児只之女、真哥皇后之従妹也」)。

参考文献

  • 杉山正明「大元ウルスの三大王国 : カイシャンの奪権とその前後(上)」『京都大學文學部研究紀要』第34巻、京都大學文學部、1995年3月、92-150頁、CRID 1050282677039186304、hdl:2433/73071ISSN 0452-9774。 
元朝以前
太祖チンギス・カン
太宗オゴデイ
定宗グユク
憲宗モンケ
大元
世祖クビライ
成宗テムル
武宗カイシャン
仁宗アユルバルワダ
英宗シデバラ
泰定帝イェスン・テムル
明宗コシラ
文宗トク・テムル
寧宗リンチンバル
恵宗トゴン・テムル
北元
追尊