ウィリアム・トーマス・ハミルトン

曖昧さ回避 「ワイルドキャット・ビル」の別名で知られるアメリカの開拓者については「ウィリアム・トーマス・ハミルトン (開拓者)(英語版)」をご覧ください。
ウィリアム・トーマス・ハミルトン
William Thomas Hamilton
第38代 メリーランド州知事
任期
1880年1月14日 – 1884年1月9日
前任者ジョン・リー・キャロル(英語版)
後任者ロバート・ミリガン・マクレーン(英語版)
メリーランド州選出
アメリカ合衆国上院議員
任期
1869年3月4日 – 1875年3月3日
前任者ウィリアム・ピンクニー・ホワイト(英語版)
後任者ウィリアム・ピンクニー・ホワイト
メリーランド州第4選挙区(英語版)選出
アメリカ合衆国下院議員
任期
1853年3月4日 – 1855年3月3日
前任者トーマス・イエーツ・ウォルシュ(英語版)
後任者ヘンリー・ウィンター・デイヴィス(英語版)
メリーランド州第2選挙区(英語版)選出
アメリカ合衆国下院議員
任期
1849年3月4日 – 1853年3月3日
前任者ジェームズ・ディクソン・ローマン(英語版)
後任者ジェイコブ・シャワー(英語版)
メリーランド州下院(英語版)議員
任期
1846年 – 1849年
個人情報
生誕 (1820-09-08) 1820年9月8日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ブーンズボロ(英語版)
死没1888年10月26日(1888-10-26)(68歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 メリーランド州ヘイガーズタウン
政党民主党
配偶者Clara Holmes Jenness Hamilton
子供8人
National Governors Association, Governor's Information, Maryland Governor William Thomas Hamilton

ウィリアム・トーマス・ハミルトン(William Thomas Hamilton、1820年9月8日 - 1888年10月26日)は、アメリカ合衆国の民主党所属の政治家弁護士である。下院議員、上院議員を務めた後、第38代メリーランド州知事を務めた。

若年期と初期のキャリア

ハミルトンは1820年9月8日メリーランド州ブーンズボロ(英語版)で生まれた。ヘイガーズタウンのヘイガーズタウン・アカデミーを卒業後、1836年にペンシルベニア州キャノンズバーグ(英語版)ジェファーソン大学(英語版)に進学した。1840年に大学を卒業した後、元連邦下院議員のジョン・トムソン・メイソン・ジュニア(英語版)から法律を学び、1845年に弁護士資格を得て、ヘイガーズタウンで弁護士業を開始した。

1846年にメリーランド州下院(英語版)議員に当選し、1849年までの1期務めた。

1849年にメリーランド州第2選挙区(英語版)から、1853年にメリーランド州第4選挙区(英語版)から連邦下院議員に選出された。ハミルトンが選出された選挙区は製造業と鉱業が中心であり、ハミルトンは関税の導入を支持した。

1855年から1868年までの間は政治に関わらず、ヘイガーズタウンで弁護士業を再開した。この間、ハミルトンはメリーランド州西部(英語版)における優秀な法廷弁護士という評判を得た。

上院議員

1869年の連邦上院議員選挙で、ハミルトンはメリーランド州から選出された。ハミルトンは、南北戦争後の南部の主権回復を強く支持したが、全ての人に選挙権を付与する憲法修正第15条には反対票を投じた。

1871年のメリーランド州知事選挙では民主党のウィリアム・ピンクニー・ホワイト(英語版)への支持を表明したが、当選したホワイトの知事としての行動を見て、それを後悔した。1874年の上院議員選挙で党の公認を得られず、再出馬をしなかった。

メリーランド州知事

ハミルトンは1875年のメリーランド州知事選挙への出馬を表明したが、メリーランド州民主党はジョン・リー・キャロル(英語版)を候補に指名した。ハミルトンは政界から離れて弁護士としての仕事を再開したが、その間も州知事候補指名を求め続け、1849年の州知事選挙で民主党から指名された。選挙では、共和党のジェームズ・アルバート・ゲイリー(英語版)(後の郵政長官)に2万票以上の差をつけて勝利した[1]

州知事就任後のハミルトンは、たびたび州議会と対立した。ハミルトンは、州議会が州の経済を疎かにしていると考えていた。ハミルトンは、「穀物・干草計量士」などの余剰の役職を整理して州の行政の無駄をなくそうとしたが、州議会が協力せず、実行できなかった。州内の世論はハミルトンを支持していたが、州議会と対立していたため、州民主党は次期知事候補にハミルトンを指名せず、ハミルトンは1期で知事を退任した。

晩年

知事退任後、ハミルトンはヘイガーズタウンに戻って弁護士業に復帰した。

知事退任の4年後の1888年10月26日、ハミルトンはヘイガーズタウンで、長い闘病の末に死去した。遺体はローズヒル墓地に埋葬された。

家族

ハミルトンはクララ・ホームズ・ジェネス(Clara Holmes Jenness)と結婚した。8人の子供をもうけたが、最後の2人は生まれた年に亡くなり、成人まで成長したのは6人だった[2]

娘のジョセフィン(Josephine)は、発明家のハイラム・パーシー・マキシムと結婚した[2]

娘のクレア(Clare)は、オペラ歌手エマ・イームズ(英語版)の弟ヘイデン・イームズと結婚した。クレアの娘が女優のクレア・イームズ(英語版)であり、クレア・イームズの娘が女優ジェニファー・ハワード(英語版)、ジェニファー・ハワードの息子が俳優のトニー・ゴールドウィンである[3]

脚注

  1. ^ “Maryland-Colored voters shot down and driven away from the polls”. The New York Times. (1879年11月5日) 
  2. ^ a b “William Thomas Hamilton (1820-1888) - Find a Grave Memorial”. 2022年4月14日閲覧。
  3. ^ “CLARE EAMES DEAD; BRILLIANT ACTRESS; American Star Underwent Two Operations During Illness of Three Weeks. WON SUCCESS IN LONDON Enthusiastically Received by Critics and Public--Had Made Reputation Before Going Abroad.” (1930年11月9日). 2022年4月14日閲覧。
  • United States Congress. "ウィリアム・トーマス・ハミルトン (id: H000118)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • Maryland Archives biography
党職
先代
ジョン・リー・キャロル(英語版)
メリーランド州知事選挙民主党候補者
1879年(英語版)
次代
ロバート・ミリガン・マクレーン(英語版)
アメリカ合衆国下院
先代
ジェームズ・ディクソン・ローマン(英語版)
メリーランド州選出下院議員
メリーランド州第2選挙区

1849–1853
次代
ジェイコブ・シャワー(英語版)
先代
トーマス・イエーツ・ウォルシュ(英語版)
メリーランド州選出下院議員
メリーランド州第4選挙区

1853–1855
次代
ヘンリー・ウィンター・デイヴィス(英語版)
アメリカ合衆国上院
先代
ウィリアム・ピンクニー・ホワイト(英語版)
アメリカ合衆国の旗 メリーランド州選出上院議員(第1部)
1869–1875
同職:ジョージ・ヴィッカース(英語版)ジョージ・R・デニス(英語版)
次代
ウィリアム・ピンクニー・ホワイト
公職
先代
ジョン・リー・キャロル(英語版)
メリーランド州知事
1880–1884
次代
ロバート・ミリガン・マクレーン(英語版)
植民地 (1632年-1776年)
  • L・カルバート(英語版)
  • グリーン(英語版)
  • ストーン(英語版)
  • フェンドール(英語版)
  • P・カルバート(英語版)
  • C・カルバート第3代男爵
  • ウォートン(英語版)
  • ナトリー(英語版)
  • C・カルバート第3代男爵
  • B・カルバート
  • ジョセフ(英語版)
  • クード(英語版)
  • ネヘミア・ブラキストン(英語版)
  • コプレイ(英語版)
  • ローレンス(英語版)
  • アンドロス
  • グリーンベリー(英語版)
  • アンドロス
  • ローレンス(英語版)
  • ニコルソン
  • ナサニエル・ブラキストン(英語版)
  • テンチ(英語版)
  • セイモア(英語版)
  • ロイド(英語版)
  • ハート(英語版)
  • ブルック(英語版)
  • C・カルバート第5代男爵(英語版)
  • B・L・カルバート(英語版)
  • オーグル(英語版)
  • C・カルバート第5代男爵(英語版)
  • オーグル(英語版)
  • ブレーデン(英語版)
  • オーグル(英語版)
  • タスカー(英語版)
  • シャープ(英語版)
  • エデン(英語版)
(1776年以降)
  • ジョンソン
  • T・リー(英語版)
  • パカ
  • スモールウッド(英語版)
  • J・ハワード(英語版)
  • プレイター(英語版)
  • ブライス(英語版)
  • T・リー(英語版)
  • ストーン(英語版)
  • ヘンリー(英語版)
  • オーグル(英語版)
  • マーサー
  • R・ボウイ(英語版)
  • ライト(英語版)
  • E・ロイド(英語版)
  • R・ボウイ(英語版)
  • ウィンダー(英語版)
  • リッジリー(英語版)
  • C・ゴールズボロー(英語版)
  • スプリッグ(英語版)
  • スティーヴンス(英語版)
  • ケント(英語版)
  • マーティン(英語版)
  • T・キャロル(英語版)
  • マーティン(英語版)
  • G・ハワード(英語版)
  • J・トーマス(英語版)
  • ヴィージー(英語版)
  • グラソン(英語版)
  • F・トーマス(英語版)
  • プラット(英語版)
  • P・トマス
  • ロウ(英語版)
  • リゴン(英語版)
  • ヒックス(英語版)
  • ブラッドフォード(英語版)
  • スワン(英語版)
  • O・ボウイ(英語版)
  • ホワイト(英語版)
  • グルーム(英語版)
  • J・キャロル(英語版)
  • ハミルトン
  • マクレーン(英語版)
  • H・ロイド(英語版)
  • ジャクソン(英語版)
  • ブラウン(英語版)
  • ラウンズ(英語版)
  • スミス(英語版)
  • ワーフィールド(英語版)
  • クロザース(英語版)
  • P・ゴールズボロー(英語版)
  • ハリントン(英語版)
  • リッチー(英語版)
  • ナイス(英語版)
  • オコナー(英語版)
  • レーン(英語版)
  • マッケルディン(英語版)
  • タウズ(英語版)
  • アグニュー
  • マンデル(英語版)
  • B・リー(英語版)
  • ヒューズ(英語版)
  • シェーファー(英語版)
  • グレンデニング(英語版)
  • アーリック(英語版)
  • オマリー
  • ホーガン(英語版)
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