アーサー・ホプキンス

Arthur Hopkins
アーサー・ホプキンス
生年月日 (1878-10-04) 1878年10月4日
没年月日 (1950-03-22) 1950年3月22日(71歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州クリーブランド
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
職業 劇作家演出家演劇プロデューサー映画監督脚本家映画プロデューサー
ジャンル 演劇映画
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アーサー・ホプキンスArthur Hopkins, 1878年10月4日 - 1950年3月22日)は、アメリカ合衆国劇作家演出家演劇プロデューサー映画監督脚本家映画プロデューサーである。

人物・来歴

1878年10月4日、オハイオ州クリーブランドに生まれる。

1918年10月3日、レフ・トルストイの戯曲『生ける屍』を英語で初演する[1]。タイトルはRedemption(「贖罪」の意)で、これを元に、1930年、フレッド・ニブロを監督に起用し、映画『生ける屍』をプロデュースしている。

エルマー・ライスユージン・オニールらともに、アメリカの表現主義演劇を推進した。

1927年9月1日、オリジナルの戯曲『バーレスク』をブロードウェイで初演する[2]。同作を原作として、ミッチェル・ライゼンが監督して『踊る人生』(1929年)、『スイング』(1937年)の2回にわたり映画化し、ウォルター・ラングが監督し、1948年、When My Baby Smiles at Meのタイトルで3度目の映画化をしている。

1950年3月22日、ニューヨーク州ニューヨーク市で死去した。満71歳没。

おもなフィルモグラフィ

  • 『永劫のマグダレン』 The Eternal Magdalene : 1919年 - 監督
  • Paris Bound : 監督エドワード・H・グリフィス、1929年 - プロデューサー
  • 『踊る人生』 The Dance of Life : 監督ミッチェル・ライゼン、1929年 - 原作
  • 『生ける屍』 Redemption : 監督フレッド・ニブロ、1930年 - プロデューサー・原作
  • Rebound : 監督エドワード・H・グリフィス、1931年 - 舞台プロデューサー
  • His Double Life : 1933年 - 監督・プロデューサー・脚色
  • 『スイング』 Swing High, Swing Low : 監督ミッチェル・ライゼン、1937年 - 原作
  • When My Baby Smiles at Me : 監督ウォルター・ラング、1948年 - 原作

おもなテアトログラフィ

  • 生ける屍Redemption : 1918年
  • 『バーレスク』 : 1927年

  1. ^ Redemption - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語), 2009年12月7日閲覧。
  2. ^ Burlesque - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語), 2009年12月7日閲覧。

外部リンク

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